貧困層はお金がないから貧困なのだろうか。
逆に考えてみよう。貧困層の36億人が、一斉に自分の資産の10%(たった20$!)を出せば、世界の資産家の10%の株を買えるということだ。
つまり貧乏人が株主の10%を占めることも、理屈上不可能ではない。
全員合わせれば4兆円だ。
日本人だけに限って考えてみる。収入が150万円くらいの低所得者でも10万20万は資産があるはずだ。仮に日本の貧困層が20%いると仮定すれば2000万人。10万円あるなら2兆円。
全員が一斉に買えばトヨタだったら10%近く買える金額ですよ?
(※単位株は10万円で買えない。でもミニ株なら可能)
お金とは不思議なもので、小さい数字になるとゴミのように扱う。
一円が落ちていてもだれも見向きしない。
100円なんて小金やん、とくだらないものを買い、消費する。
100円が100回続けば10000円になっている。つまり、毎日くだらないことにことに100円使えば一年で35000円。30年で100万円使っている。
ところがそういう人間に限って「あー百万円ほしいなあ」とつぶやく。
手に入ったところで一月経たずにくだらないことで使い果たすだろうに。
金持ちなんて根こそぎにしても「俺は痛くない」と思うから分配しろと人には迫る。その結果、雇用が数十万人単位で消滅するとか、消費がおそらくがた減りするとかは考えない。無料で使えていたネットのサービスもなくなる。そういうことに頭が回らない。
投資をして、お金が無くなったら怖い。そういって株や信託を毛嫌いする人間は多い。金持ちじゃないとできないと思い込んでいる人も多い。
その一方消費をやめないんだから、それではお金は増えるわけがない。
昔と違って日本株なら数万円。アメリカ株なら数千円から買うことが可能だ。貧乏人こそがお金の複利効果・再分配機能を使わないでどうする、と思う。
金はまとめて集めることでその力を増す。
富は集約しないと、効果を発揮しない。国が税金を広く薄く集めて、道路を作る。ダムを造る。企業は借金をして工場を建てる。
集まったお金は大きいからこそ、その力を発揮できる。それは個人ベースでも同じだ。
一方貧困層は違う。いつも目先のお金。日々使うお金しかみない。
すぐに言い訳したくなる。このくらい、少ない楽しみなんだからいいじゃないか。
そういう気持ちこそが人を貧乏に追いやっているように思う。
その気持ちが変わらないうちは「いくらお金を渡しても消費して終わり」
ここに気づかないでただ分配を叫ぶ人は、やはり山賊の末裔なんだろうなあと思う。
昔からある言葉。
ガチョウと黄金の卵 にあるようにガチョウは裂くなって事じゃないかい?
大企業をバラしたら、きっと何も残らない。