不適合者のジャンクヤード

腑に落ちるか落ちないか、読む人次第。拾い物があればご自由に。

募金が流行らない理由

空港に行くと、その国を離れる人用に募金箱が置いてあることが多い。

お札は両替ができるが、使えきれない小銭は持っていても邪魔なので募金箱に放り込むんじゃないかという期待があるのだろう。

 

一方、同じ層を狙って、飲食店。変わったところではカプセルトイなどを置いて小銭の回収を目指すライバルも多い。

募金が不人気なのは、箱が置いてあるだけだからだ。

いいことをした、という満足度よりも即物的な飲み食い、何が出るのだろうという射幸心のほうが価値が大きい。

 

そこで例によって新規アイディアだ。

小銭を入れると、入れた金額分に応じて「目の前で薬がカプセルに詰められ、切り離されて箱にしまわれる」様を見せる。

 

この薬は〇〇のために使われます、と動画と音楽を流す。

もちろん、茶番だ。

だが、目に見える満足と動機付けは必要ではないだろうか。

 

100年前からある、お金の見えるただの箱。

そろそろ改善の余地があると思われる。

バグをとる

株式の価値算定とか、変動とか見るのにエクセルを多用しているんだがこれが便利。

ちょっとした関数とか、思い付きとかで変数組んだりとかが簡単で、重用してる。

 

でもね、思い付きで組むと酷いことになる。

これあったら便利だよなって数字が、循環しだす。

あっちの数字はこっちでとって、こっちはこっちに絡んでとスパゲッティ状態。

一か所でエラー吐き出すと、原因究明にとにかく時間をとられる。

簡単な個人の設定ですらこうなのに、マイクロソフトとかもうえらいことなってるんやろなあ。

憤るだけでは変わらない

なんというか、ネットで炎上ってもののパターン見てるとだいたい決まってる。

 

正しいモノの見方があり。

守っていない悪者がおり。

こんなことが許されるのだろうか、と石を投げる。

 

だますのが悪い。

知らない事につけ込むのは悪い。

 

昔子どもだった頃は私も正義漢ぶっていた時代がある。

でも、最近はそうではない。

 

だまされるのが悪い。

弱いもの。知らないものはカモだ。

 

ボードゲームをやったら、人間性は見えてくる。

オールドファッションのモノポリーでいい。

 

リスクを絶対嫌って、一人閉じこもるやつ。

さいころの出目が悪かったら、不機嫌になってプレイを投げ出すやつ。

ルールを勘違いして、急に切れるやつ。

そんな奴らがいる。

 

ゲームであることをわかっていない。

負けることを嫌い、自分が一番でなきゃ許せず感情的になる。

早い話が子供だということだ。

 

ボードゲームであるならば、ルールを読み込めばいい。

回数をこなして、有利な戦略を練ってみればよい。

失敗しても、命は取られない。ただちょっと悔しいだけだ。

ゲームであるならば、どこかに有利なルールがある。穴がある。

それをなぜ探さないのか。

 

答えは、馬鹿だから。面倒だから。

 

ホテルのマスに止まれば、大金を払うのがゲームのルール。

こんなルール、クソやんけ!と叫んでも、ゲームをしているのだから仕方がない。

 

現実もまた、そんなクソゲーの一つだ。

金持ちに有利。権力者に有利。イケメン・美人に有利。政治家に有利。

わかりきったことだ。ルールは権力者、富める者が決めているのだから。

 

憤って政治家の道に進んでもいい。

ただし、自分が有力者になったときに「その有利さ」に目が眩むことなく、貧者の見方でいられるのだろうか。

もっとまじめに働けよ、クソ政治家がと当の貧者に煽られ続けて。

 

そんなんズルい。そう思うのならルールを把握しろ。穴を探せ。

ただ感情的に叫んでも、世の中は決して変わらないのだから。

 

叫べば、訴えれば変わると思ってるのだったら、それは変わったように。そう見えるようにトリックでだまされているだけだと疑うべきだ。

憤りは、ただのガス抜きだ。叫べばすっきりすると、力あるものは知っている。

 

夢見がちっていうけどさ

がちっていうことは、そうじゃない時もあるってことだ。

 

例えば、今までろくに運動をしたことがない高校生が「プロ野球選手になれる」って、どう考えても無理な望みを思うのも、夢見がちと言っていいのだろうか。

 

言葉の順を入れ替えて

 

ガチ夢見

 

とするほうがしっくりくる気がする。

 

 

責任ある仕事とは

薬剤師って大変だよね、という掲示板のやり取りを見ていて思ったこと。

 

薬袋詰めにするだけで600万は高い、という部外者の意見があり

薬の疑義にブラックな勤務と1000万でも安いという内部者の意見も。

 

私が思うに〇〇責任者、とか国が国家試験で出してる資格なんてのは基本

裏ビデオ屋の店長と同じ。

 

なんかあってガサ入れ入ったら、「あ、後はよろしく、責任とってね」

とそこで終わらせるリスクマネージメント。

そのために高給出てるんだと思うんですが、どうですかね。

 

凡百のブログより一人の先生の偉大を噛みしめろ

アメリカ株が高いと思い続けて数か月。ここのところ企業分析と経済分析の切り口を探しているのだが、これがなかなか進まない。

私自身も凡百の一人にすぎないので当然だが、その理由は「明確なイメージ」を持った人がそういないことが原因だ。

経済で例えば「マネタリーベース」というと、検索で引っかかるのはどこぞを孫引きしたような劣化コピペしか出てこない。モルガンであろうが、東京三菱であろうが東大であろうが同じ。

ほとんどがてめえで考えたことのない、わかったふりだけが上手なコピペ学者か提灯もちの御用営業者、そしてアフィで食ってるチンケな小金持ちしかいないわけだ。

 

私は自分がたいして頭が良くないのをわかっているから、できるだけシンプルな理屈を考えつかないと理解が進まない。

なので、もっともらしい学説を読むと、本当にこいつら説明下手なと思ってしまう。

ちなみに、マネタリーベースとマネーストックについては、どこかのブログで書いていた「パチンコ店の所有するパチンコ玉と、台で回っているパチンコ玉の違い」というのが的確で分かりやすかった。

 

というわけで、最近読み始めたのがアダム・スミス国富論

初出が1776年で240年経過しているにもかかわらず、どれだけ刺激的な読み物か。

1ページ読んでは現代との比較、妄想が飛び交い知識が連結しイメージが湧き出してくるわけで、なかなか読み進められない。

 

その道は私が240年前に通った道だ。

 

これをリアルでやられると、偉大な先生のいうことはとりあえず読むべきだなと思う。

アダム・スミスwikiとインターネット、パソコンを渡したらどこまで進めたんだろうね。

 

次はマルサス人口論かな。

咄嗟の切り返し

固定電話を無くしたいと思いながら、はや7年。

最近は営業電話しかかかってこないから、出るのすら面倒くさい。

 

「すいません、こちらリサイクルの会社なのですがご不用なものなどございませんでしょうか」

 

営業はいりません、と断るのだが。

 

「こういう電話が不要かな」

 

とっさにこれくらい言いたいもんである。

後で思いついてちっ、と舌打ちする。

富の分配の効能を考える 4

本来なら、前回までの分で終わりだったはずなんだが、思いついたことが一つ。

 

世界人口って70億人くらいいたよな。

じゃあ、36億人の貧困層以外の人間って、いくら資産持ってるんだ?

 

ここからはデータがないので、仮説を立てていく。

 

1.GDPに比例して、個人資産があると考えよう。

2.アメリカと日本のGDPを足すと、世界の約半分のGDPがある。

3.日本の個人資産で検索をかけると、2016年度で1700兆~2000兆円らしい。

4.アメリカと日本のGDP比が3:1なので、アメリカは6000兆円とする。

5.世界のGDPから推計すると、日本2000兆、アメリカ6000兆の2倍で1京2000兆円。

 

もう一度おさらい。 

世界の富豪8人の所有金額は45兆円。

36億人の貧困層も同額。

一人当たり1万円又は2万円か。それが前回の話だった。

 

残りの34億人で1京2000兆円。

一人当たり352万9411円。

 

桁が違うとはこのことだ。

ということは金持ち8人を見せしめにして分配するよりも、残りの34億人強、つまり日本人全員やアメリカ人全員の資産を貧困層にばらまけば、もっと寄付金額のかさ上げができるはず!

 

ざっくりした計算では12000÷45は266倍。つまり1万円しかもっていなかったアフリカ人が266万も持てるようになる。なんて素敵なんだろう。

一方すべての日本人も貰える資産額は一律266万円。

家も車も何もかも売り払って、貧困層にプレゼントだ!

貯金が全くない人にとっては棚ぼた。持っている人にとっては悲劇。

 

おかしいなあ。オックスファムの連中はなぜ、これを提案しないんだろう。まさか自分の資産が減るから反対してるってことはないよね?

 

 

もう一度書こう。

分配を望むなら、まず初めに自分が失う側に回ることを想像するべきだ

「殺しているんだ、殺されもするさ」 

この言葉の意味をよく考えたほうがいい。

 

※追記 8000の二倍は16000でしたね。1京2000兆→1京6000兆に脳内修正よろしくです。

富の分配の効能を考える 3

貧困層はお金がないから貧困なのだろうか。

 

逆に考えてみよう。貧困層の36億人が、一斉に自分の資産の10%(たった20$!)を出せば、世界の資産家の10%の株を買えるということだ。

つまり貧乏人が株主の10%を占めることも、理屈上不可能ではない。

全員合わせれば4兆円だ。

 

日本人だけに限って考えてみる。収入が150万円くらいの低所得者でも10万20万は資産があるはずだ。仮に日本の貧困層が20%いると仮定すれば2000万人。10万円あるなら2兆円。

全員が一斉に買えばトヨタだったら10%近く買える金額ですよ? 

(※単位株は10万円で買えない。でもミニ株なら可能)

 

お金とは不思議なもので、小さい数字になるとゴミのように扱う。

一円が落ちていてもだれも見向きしない。

100円なんて小金やん、とくだらないものを買い、消費する。

 

100円が100回続けば10000円になっている。つまり、毎日くだらないことにことに100円使えば一年で35000円。30年で100万円使っている。

ところがそういう人間に限って「あー百万円ほしいなあ」とつぶやく。

手に入ったところで一月経たずにくだらないことで使い果たすだろうに。

 

金持ちなんて根こそぎにしても「俺は痛くない」と思うから分配しろと人には迫る。その結果、雇用が数十万人単位で消滅するとか、消費がおそらくがた減りするとかは考えない。無料で使えていたネットのサービスもなくなる。そういうことに頭が回らない。

 

投資をして、お金が無くなったら怖い。そういって株や信託を毛嫌いする人間は多い。金持ちじゃないとできないと思い込んでいる人も多い。

その一方消費をやめないんだから、それではお金は増えるわけがない。

昔と違って日本株なら数万円。アメリカ株なら数千円から買うことが可能だ。貧乏人こそがお金の複利効果・再分配機能を使わないでどうする、と思う。

 

 

金はまとめて集めることでその力を増す。

富は集約しないと、効果を発揮しない。国が税金を広く薄く集めて、道路を作る。ダムを造る。企業は借金をして工場を建てる。

集まったお金は大きいからこそ、その力を発揮できる。それは個人ベースでも同じだ。

 

一方貧困層は違う。いつも目先のお金。日々使うお金しかみない。

すぐに言い訳したくなる。このくらい、少ない楽しみなんだからいいじゃないか。

そういう気持ちこそが人を貧乏に追いやっているように思う。

 

その気持ちが変わらないうちは「いくらお金を渡しても消費して終わり」

ここに気づかないでただ分配を叫ぶ人は、やはり山賊の末裔なんだろうなあと思う。

 

昔からある言葉。

ガチョウと黄金の卵 にあるようにガチョウは裂くなって事じゃないかい?

大企業をバラしたら、きっと何も残らない。

富の分配の効能を考える 2

昨日に引き続いて、分配について考えてみる。

 

昨日の想像では貧困層が100$手にできるところまで想像した。

さて、彼らは何をするだろうか。

アフリカ。中国。インドの貧困層

 

おそらく

ちょっといいものを食べるか。

ちょっといい服を買うか。

ちょっと酒を飲むか。

ギャンブルをするか。

アフリカなら銃を買うかもしれない。

 

で、終わり。次には当然「おかわり!」と大声を出す。

 

アフリカにNGONPO、各種団体がいくら投じてきたか。

何が起きたか、起きているかは知っている人は当然知っている。

 

じゃあ、株を配ったらどうなるだろうか。一人当たり100$の株を配れば、1年に配当3$は貰える。

おそらくそうなれば、株を売り払って(以下同)

無くなっちゃった。で、おかわり。

 

ロシアで行われた社会実験がこれだ。

社会主義国家だったソ連が92年の転換時に何をしたか、知っている人は少ないかもしれない。

国民は資産を持たず、国家が何もかも持っていたソ連。だから、あの当時工場とか、資本とか国が持っていたものを、では国民にすべて分配しますと発表した。

ところが同額配られたはずの資産権利も、ほとんどの国民はインフレに耐えかねて即座にクソみたいな安値で売り払い、ウォッカを買った。

一方、一部の人間(ニューリッチと呼ばれる)がなぜかそのまま大きく資産を増やす

あくまでも想像だが、裏社会での実力者が表に出てきたり、一部政治の繋がりが濃かった人間がいち早く買い占めたであろうことは当然の帰結ではなかろうか。

 

貧困層に足りないのは、おそらくお金ではなく、知恵と想像力。そして絶対的に不足しているのは我慢と言い訳しないということではないかと思う。