不適合者のジャンクヤード

腑に落ちるか落ちないか、読む人次第。拾い物があればご自由に。

教育とはいったい

この間考えたこと。大学で一体何を学んだのか。

 

自分が学んだことは、説明しようと思えばできる。

資料の探し方。文献は読んでも無駄が多いこと。

思考の方向性とロジックの関係。

人に明快に説明するやり方。

 

専門性の高い分野という学部ではなかったので、総合的にそのあたりを学んだところで卒業となった。

一方同時期の友人を思い出す。

彼らはいったい何を学んだと感じたのだろう。

 

貧しい子供に、教育は大事なんだ。そんな小説を読んで感じる違和感。

誰もが行くからと高校に進み、授業で寝る。

大学はアルバイトとサークル、三年になれば連日就職活動をする。

 

採用する企業側も、大学で学んでいた専門性に期待するところはほんの一握り。

そこまで進めた、という学歴フィルターのために卒業証書がいる。

 

コストとリターンという関係から考えてみよう。

1915年、100年前には明らかに学歴は有用だった。

少しできる子は村のために、国のためにという名目で指導者層になるべく期待を持って地域から送り出され、文字通り故郷に錦を飾る。

中等教育で10%の時代。大学進学率は数%程度だろう。

教育費は高いものの、生活水準はそこまで高くない。

値段史年表によれば慶応の授業料が120円。公務員給与の1.6倍程度。

今でいえば仕送り月5万円で学費が年32万円。4年で400万で給与800-1200万円が見込めるイメージだ。

 

1950年代に生活水準が上がり、進学率が上がったとはいえ2割行くかどうか。

三畳一間で風呂なしが当然の下宿に国公立で学費が9000~12000円。インフレ考慮して10倍しても12万円。

仕送り8万に学費12万円。年換算で108万だからやっぱり4年で400万、給与800万というところ。

授業料が下がったのは、おそらく民間の幹部候補の需要が高まって、国としても教育の充実が必要になったのではないか。

 

勤め人の生涯平均給与を500万円とすれば、40年で2億円。

当時は自営業や日雇い、農家がまだまだ多い時代だ。

400万円を工面すれば、子供が2億稼げるかもしれない。

費用対効果は50倍。オッズとしては悪くない。

 

さて現代だ。

子供の生活水準はぐんと上がって、風呂なし下宿などもう誰の眼中にもない。

慶応大の学費、初年度130万、在学年110万、計460万

 

学費だけを見れば大差はない。

しかし、仕送りを首都圏で生活させるとなればどうなるか。

他の子に格好悪いところを見せたくない、とすると。

住居 85000 共益10000

光熱 25000

通信 12000

食費 40000

衣服 10000

交友費 30000

雑費 10000

 

これでもたぶん切り詰めている。計222,000円。

初任給に匹敵する。

4年で1065万。

さらに慶応に入れるまでの塾代を考える必要がある。

 

4-8歳 5年に月20000円 20000*12*5=120万

9歳-18歳 10年に月35000円 35000*12*10=420万

その他教材費 年10万として 15年で150万

これでも入試に受かればいいほうだ。浪人すればまた年に100万はかかる。

 

経費の総額は

幼児期 4-8歳 5年で170万

青年期 9歳-18歳 10年で520万

入学して18歳-22歳 4年で1525万円

 

トータルで2215万円。

しかもこれは慶応以外からの受験のケースだ。幼稚園から行かせたケースは

考えたくもない金額になるはずだ。

 

ではこれでリターンが見込めるのかというと怪しい。

思い切り甘く見積もって、大企業のエリートになったと仮定して

生涯年収5億円になったとする。

ではこれだけの実力者なら、中小に行っても1.8億くらいは出るとすれば

その差3.2億円。

2200:32000は14.5倍。しかもこれは重役まで上り詰めたとしての試算。

1.6億と2.5億くらいの差でしかなければ、2200万円払って、差額9000万にしかならない。

 

明らかにコスパが悪くなっている。ではなぜ、この学歴を恐れるのかといえば、「皆さん飛び込んでますよ」のジョークで理解できるだろう。

 

もうね、授業で寝るような無駄な人間を学校に行かせるよりも、企業も思い切って採用の基準を変えればいい。

センター試験でもTOEICでも好きなのでいいよ。

点数高い人とりますって言えばいい。

 

我慢して勉強ができる、ってのが欲しいわけでしょう?

人とうまくいくとか、リーダーシップあるかを見るのに学生に2000万も借金しょわせるんじゃないよ。

さっさと若い人間採用して、企業が育てるべきなんじゃねって強く思う。

アメリカではすでに学生ローンは一大ビジネスで、サブプライムみたいな焦げ付きも恐れられてるっていうのに。

いまだに学歴さえあれば就職できると思っている普通の人は、やはり情報が数十年遅れている情弱と言わざるを得ないなあ。

 

久しぶりにぞくっと来る

アメリカのダウ、100年の動きを見るべくデータを探してネットの海に。

どうやら1914年8月-11月のデータがない。時期的に見て第一次大戦だから、ひょっとして長期休場してたのか、とさらに調べていると、あるつぶやきが目に入る。

 

すべての戦争を終わらせる戦争。

100年遅れでつぶやきます。

 

リアルタイムに流していたのだろう、大量のツイートと写真。

当時にネットがあったなら、きっとこんな感じで流れていたのであろう現場感に鳥肌が立つ。

玉突き状態で混乱していく世界がリアルで流れてくる感覚。

あー、当時にフォローしてみたかった。

恵方巻きが熱いのなら

去年の廃棄が火をつけて、もったいないブームが起こっているという。

商売人の目線から行けば、原価率30%-50%なら、そりゃ、売れ残っても勝負賭けに行くよねと思うんだが、なんせ今はポリティカルコレクトネスの時代。

疑いようの無い正論で、人の足を引っかけて楽しむのが正しいネット民といえるのかも。

 

コンビニオーナーは基本本部には逆らえない。だとしたら、データを用意しなくちゃ。エビデンスってやつだな。

テレビである、簡単なアンケート。シールを貼ってもらうってのを使ってみよう。

 

レジ横にボード。

恵方巻を買いたい 買いたくない」

小さく分けて、注文した、あれば買う、買わない、反対だから買わないみたいな、自分にあいそうな気持ちのところに張ってってもらう。

 

ポップに「あなたのシールがわたし(店長)を救う」とでも書いておく。

 

結論を写真にとって、集計出して。

選挙の出口調査のように。

「民〇並みにヤバイっすよ!」と本部に突撃だ。

開票をいじってない証拠にビデオも添えてね。

 

たぶん今年は買い控えが起きるだろうねー。でも、来年は?

無いとなると食べたくなるのが人だからね。

 

#今日のプリウス があるのなら

最近twitter界隈では

「#今日のプリウス」というのが流行っているらしい。

 

プリウスがあるのなら、ぜひ

#今日のトランプ

もつぶやいてほしいものだ。

 

「最近のマーケットは浮かれてトランプリスクを忘れている。」

ロイターのコラムを見たときに、思わず吹いた。

自国民にリスク扱いされる大統領はきっと、そういない。
リスクって、天災か何かですか?

 

しゃべらないときっと、爆発する。そんなおじいさん。

アメリカ下院はそろそろ
「大統領に対する、特別ツイート税」法案を提出するべきだと思う。

一文字100ドル。問題があったときには一文字100万ドルで追徴課税。

たぶん史上最速で可決されるね。


そして

おじいさん「インスタグラム始めました」

 

大統領恩赦があるから、何したって無敵だもん。

そういうストロングスタイルを盾に。


風評の流布に、インサイダー情報をツイート。
気に入らない外国を次々攻撃するだけではない。

自国の中央銀行に、自国企業、外国の最高責任者まで気に入らないとかみつく。

 

考えてみよう。彼が言ったことで実行されたことは

懲罰的関税くらいなんじゃないの?

メキシコとの壁も。

素晴らしいGDPの成長も。

つぶやきのほとんどが無視していいくらいのものだ。

マーケットはそれを利用して、ボラ楽しんでサーフィンしてるだけだ。

 

誰や、こんなん選んだん。
アメリカ国民も、きっと半数は

「頭がトランプ」

 

空気を読め、ということ。

わがままって

 

周囲の意に反して、思うまま自分のしたいことをすること

らしいんだけど、これって

 

有給取りまーす。

定時なんで先上がりますね。

 

ってのにもきっと適応されるんだよなあ。やだなあ。

我を通す、ってのと、周りに気を使うっていう二律背反。

全体がもうちょっと寛容になれないもんかねって思う。

テレビって

今となっては、融通の利かないアフィまとめサイト

みたいなもんだなって思う。広告と誤クリックをうざめにした感じの。

またはおもんない芸人チューバーの生放送か。

そりゃあ、自分でザッピングできるネットに流れるわ。

 

ラジオが100年、テレビ電波が60年以上独占で、参入が難しかった。

ネットと撮影機材が一般化して、素人と他業者が入れるようになれば

そりゃテレビは見ないわなって思う。

【自由】ってなんだろう

定義が難しい言葉だと思う。

気が付けば

                     

思うまま奪う、殴る、それが自由ヤジュウだ。

 自由ムリョウっていいよね。

 

こうなる。

個人と公共の綱引きであったり、個人と他人の線引きであったり。

自由とは無制限ではない、ということを理解しないと恥ずかしい人になってしまう。

 

匿名掲示板で人の悪口を書くなんてのも、言論の自由とは違うわけで。

言葉の印象って本当、勘違いさせるから怖い。

運の良さと悪さ

どこでもいい、人がたくさん入る場所を想像しよう。

東京ドーム、甲子園、武道館。どこだっていい。

 

その中に詰め掛けた人は、隣の人とジャンケンをする。

勝てば勝ち進み、負ければ退場だ。

何万人いようとも、多くて20回くらい勝ち抜けば優勝できるだろう。

優勝者には当然すごい賞金か記念品が出るとする。

 

そして優勝者は「日本一ジャンケンの強い人」として喧伝されるだろう。

うん。素敵な話だ。

 

視点を変えてみる。

先ほどと条件は同じ。ジャンケンに勝ったら残る。

ただし、生贄として。

 

命がかかっているのか、大金を払うのか。その辺は想像に任せよう。

言えることは皆、さっさと負けて退場したい。

しかし、残酷にも勝ち進んでしまう人は絶対にいるわけだ。

 

ジャンケンの強さは、技術や洞察力によって左右されるのだろうか。

勝ち進んだときの戦績で、強い人はいるのかもしれないが、そういった人は負けなければならない時にあっさりと負けられるのだろうか。

それともただの偶然の要素が強いのか。

興味深い。

歩きスマホ

就職活動の時期ですね。道行く若いスーツ姿を眺めていたら、こんなのが。

 

両手でスマホをささげ持ち、背中はすっと伸び、目線はスマホに。

そしてしずしず歩く。

 

その姿は宮内を行く、凛と背中を伸ばし、笏を構えた平安貴族のよう。

 

太政官かよ。

思わず漏れた心のツイート。

働くということ

働くことについてぼんやりと考えていた。

 

雇用労働と、自営業。違いは何だろうと考えて、消費が好きかどうかにあるんじゃないかと考えた。

起業・自営を考える人間は、基本的なベースにケチ、がある。

というかそうでなくては、長続きしない。いつ仕事があるか、いつ仕事がなくなるか予想がつかないからだ。

 

一方雇用されている人間は、消費に鷹揚だ。来月また給与が入ってくるから大丈夫、とぎりぎりになるまでお金を使うことがある。

 

となると比較その1は使うことが好きか。自分の手でかせぐことが好きか。

メモに落書き。

どうせなら四象限にしてみよう。

働いてお金を得るのが楽しい人間もいれば、上前はねて楽できるほうがいいという人種もいるはずだ。

じゃあ、こうなるかな。と出来たメモに書かれたのが

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「つかう うばう」

 

シンプルで つよい。

 

パワーワード感に思わず笑う。

だめな女さんとか。できのわるい子どもさんとか。

ちんぴらさんとかが入りそうですね。

 

右下は会社社長、プロモーター、手配師、できのわるい上司とかかな。

世の中は、いろんな人でできている。きっと。