前回の食事の価値でも書いたが、人の価値観は、もともと「食事を与えてくれる」ことが大事だった。
1950年代までこれは変わらない。
働くことで、食事が摂れる。これが価値。
ところが現代は、食事代が異様に安くなり、それ以外に必需品(と思わされている)ものが増えた。
ネットもスマホも、車もクーラーも。
国家を天皇、企業を殿様と江戸時代に置き換えて考えてみると、食えれば満足なはずの国民に払った給料を回収するために、「アップル印のゴミ」を有り難がって買うように仕向けているように思える。
給料を企業が回収し、上納金を国家に。
広告は殿様に媚びる売文を書き、価値のないものをあるように見せかける教育・啓蒙を続けている。
信長が部下に戦功として土地を渡せなくなったときに、茶器を「価値がある」と広め、土地の代わりに渡したという欺瞞を思い出す。