現実と架空の境目4
架空を現実が追いかけるということがある。
例えば手塚先生の書いたアトムを見て、ホンダがアシモを作り、ソフバンがペッパーを作る。
ガンダムを見た世代が、いずれ二足歩行兵器を作る、かもしれない。
古くならジュール・ベルヌの描いた潜水艦、月旅行などもそうだし、もっと古ければイカロスとライト兄弟と様々な例がある。
一方で現実に存在するものしか理解しないし、価値を見出せない人々も多い。
どうせ失敗する
誰もやったことがない
それに価値があるとは思えない
投資? は?
成功したら考えて(やって)もいいが、今は(ありえ)ねえ。
一つの村があったとしよう。昔から食料が取れず困っていた村で、一人の男が「米を作れば飢えなくてすむ」と言い出す。
少ない水、日当たりが悪い水でも育つ米があるかもしれない。そう思った男はほかの村人に協力を求める。が返事はおそらく上のネガティブな反応。
一人村を出た男は苦労の末、育ちそうな米を見つけたとしよう。
村へ戻り、幾季節も苦労しながら、ついにその村でも豊富に実るコメを作ることができたのだ。
物語ならここで打ち切り、ハッピーエンドでいいだろう。
しかし、あえて想像をしてみると、この後の展開は
・協力しなかった村人に、高い金で米を売りつけてどさくさに紛れて殺される男。
・「飢えている俺たち(村人)に当然、そのコメは分けてもらえるんだろうな」と無償で籾を奪い取られる男。
想像と架空から踏み出して、リスクを取って、人生をかけて動いたとしても、リスクを負わず人にたかるだけの現実主義者にジャイアニズムされてしまう。
それは、宝くじに一等当選した人間に「奢れよ」と群がるシステムと同じ。
公の幸せに勝るものなし。腹が立つ。