「尊厳死」と「姥捨て山」は違いマスよ?
ヨーロッパには自殺をする権利を認められた国がある。
自殺ほう助という奴だ。死の幇助 - Wikipedia
とはいえ当然制限付きで、
1.病気で治る見込みがない場合で
2.医師の手によるもの
というのが条件のよう。まあ、プロ、または信頼できる人間が行わなかったら、殺人との区別がつかないから、これはしょうがない。
日本では一方、殺人罪に問われてしまうこの問題。
日本でも尊厳死を、という声があるらしいが、この
「お子様しかいない国」
に自由な死は早すぎると思う。
なにかあれば「お上が何とかしてくれる」「はよお上は何とかするべきだ」
騒ぎ立てるだけの決断力のない集団に、この自由権を渡せばどうなるか。
見たくないものには蓋をする。
山に老人を捨て、井戸に赤子を捨ててきた江戸時代の復活である。
ニートに、犯罪者。社会不適合者に騒乱を起こす軽薄な若者。
その建物に行けば、自動的に処理され、出てくる人はいない。
そんな建物が作られる。行くのは自分の意志?
だから問題ないでしょう。
社会に役に立たないものはそっと「ないない」する。
「それが社会のためになるんだから」 そう言い聞かせ、自分の親にカンビュセスの籤を押し付けて、自らそこに行くように強くプレッシャーをかける。
建物に入るとき一瞬だけ涙を流し、そして安心する。
決断力のない日本人はきっとこの道を選ぶだろう。かつて歩んだ道なのだから、馴染むのも、きっと早い。