不適合者のジャンクヤード

腑に落ちるか落ちないか、読む人次第。拾い物があればご自由に。

「いじめがなくなる」 わけがない。 ※sa-betsu 注意

こういうタイトルで、あえて炎上させてみる。

この手のことを主張すると

1.いじめで苦しんだ子の気持ちになってみろ! 「不謹慎厨」

2.世の中は良くなるに決まってるんだ! 「ひだ りまき」

3.監視カメラと密告できっとなくせるはずさ 「管理監視厨」

4.そんなことを言うなんてこいつが悪人だ! 「底抜けのバカ」

 

こういう連中がコメント欄に突っ込んできて、きっと荒らしてくれるはずだ。特に4! 【かかってこい! 相手になってやる!】

 

「いじめ」がなくならない理由。それは簡単。人間は違いが気になる生き物で、社会適応度が高いほど、小さな差を理由に差別を始めるからだ。

 

幼稚園でいじめが少ないのは、子どもがまだ「社会性を身につけていないから」

だから年齢が大きくなるほど差別意識は高まり、同時に大きくなるにつれて「狡猾に内側に隠す」ことを覚えていく。

その二つのラインがちょうど重なるのが中学生から高校生といった辺りではないかと思われる。

内側に隠せない一定層が「正義の執行」としていじめを行い、巻き込まれたくないその他の民衆が消極的に承認する。こうしていじめが起こる。

 

ためしに聞いてみたい。

同性愛者を「ホモ」と呼び、異性愛を「ストレート」ではなく「ノーマル」と言いはる文化。

ハゲ、デブ、チビ、痣、手術跡、モヒカンなどの特徴を忌避する文化。

紋々が入れば目をそらし、私はここにいませんよと主張する文化。

 

天皇制を馬鹿にする人はshi-neばいい、と公言し、その一方で自分は視覚障害者マークの上に自転車を停める。

ニートは社会のためにならないから、anraku-shiさせろ。生活保護者はもっとつましく、ぎりぎりの生活をするべきだ。

公費をちょろまかした知事はban-shiに値する。

 

〇〇じゃなきゃ「shi-んだほうがいい」と語る奴ほど「いじめはなくなるべきだ」と吠える。

いやいや、シュールすぎでしょ。

 

近代化が進むごとに日々の生活は忙しくなっている。日々かかるストレスは大きく、自分が「持たざる者」になっているように感じさせられる。

テレビでは、SNSでは皆が自分の自慢をしているのに、自分だけが損している、置き去りにされているように感じている人はきっと多い。

 

自分よりも持っているもの、自分よりもズルして稼いでいるように見えるものに対する嫉妬心を人一倍持つ人が渦巻くこの日本という国で、どうしていじめがなくなるのか。

 

いじめをなくすには嫉妬心をなくし、トラウマを消し去り、過去のコンプレックスを解消する必要がある。それを多感な中高生に求めるのはどう考えても無理じゃね?

立派なそこかしこの大人ができてないのに。 

 

会社で、団地で、パート先で、老人ホームで、勤め先で日々いじめが行われているというのに、そっちは存在してないとでも言いたいのだろうか。

子供だから問題視しているのなら、大笑いだ。まず自分の襟を正してから口を開くべきだろう。

石を投げることが出来るのは、イ エ ス た だ 一 人。そう思いませんか。※1

 

※1 イエス・キリスト - アンサイクロペディア エピソード・罪のないイ エ ス 参照