お金について考える
子供の時は「貯めればいいことがある」と思ってた。
何か欲しいものがあるときに使えるのだから。
大人になり、働き、消費し、家賃を払い、ギャンブルをし、株価の上下に振り回されるという経験を経て、今は何ともいえない気持ちがある。
一つ言えるのは「お金」は絶対価値のある存在ではないということ。一個人が今日明日というスパンで考えるなら、子どもの時のシンプルな「お金って大切ですっげえ物」くらいで回る。
ところが国、とか企業とか世界、ってレベルのマクロになると、頭がついていかなくなる。一つ、例題を出してみたい。
想定:現在の東京都の中心にある1キロ平米の土地の価値推移を考える
時代は古代。
その土地は森で覆われ、数十人の住む集落がある。産業はなく、狩猟採取生活。
土地の価値:坪100円 生み出される生産価値:25人×50万円
トータル価値:4,250万円
時代は中世。
農業が発達する。京からは遠く、小さな村があるだけ。住人150人。
土地の価値:坪1,000円 生み出される生産価値:150人×100万円
トータル価値:4.5億円
時代は現代。
首都として機能。大都市。住人は50,000人に。
土地の価値:坪20万円 生み出される生産価値:50,000人×150万円
トータル価値:1,650億円
同じ土地でも、人が集まりビルが建ち、利便性が高まれば価値が上がる。
すごい適当に試算してみるだけでも、この2000年ほどで東京の土地の価値が変わっていったことがわかるだろう。
国家は自由にお金を刷ることができる。もしも金本位制で通貨を発行できなければ先ほどの「1650億円」をどう準備すればいいのだろうか。通貨が発行できなければ、交換が行えず、経済が停滞する。
人が世界に100万人ほどしかいなかった時代から、70億を超えるまでに変化した時に、当然人一人が持つ通貨量が増えていくことが予想できる。
何も建っていない野原に道路が引かれ、電線が引かれ、鉄道が走ったときに価値が高まり需要が生まれる。
たくさんビルが増えれば、必要になる通貨量は増大する。
たくさんビルを建てれば点数が入るゲーム。
通貨と、ゲーム(CIV)の評価ポイントは実はそう大きな差はないのではないか。
先に「マスコミが年金のことを全く分かっていない(ワイドショーが年金を切る - 不適合者のジャンクヤード)」と書いた。
国家には通貨発行権がある。年金は国が管理している。
通貨をどんどん発行し、上場株を買い占め、企業を国家がすべて支配する社会主義への移行も理論上は可能だ。
またインフレを進め、年金を額面上20万円払うことも可能だ。何も買えないけどね。
だがこういった乱暴な手段を政府はとらない(と思いたい)。
発行量はアメリカ、ヨーロッパとのバランスを考えていないと、バランスを崩す気かと怒られる。通貨は本当に難しい。
国債の発行量。返済額。
借金ではないかと「一般人の目線」で考えることは、
実はそんなに意味がない。
一般人の目線で考えれば「お父さん(国家)はいくらでも肩たたき券(通貨)を出せる」のだから。
通貨は絶対ではなく、相対的に変化するものだ。
ここに気づいてしまうと世界観が少し揺らぐ。
今でも私は揺らいだままだ。