気が付けば、「バカへの怒り」のカテゴリの記事が増え続けてる。
ここで、一度自分の思うバカって何よ、と簡単に定義づけしてみたい。
辛口の、偏ったインテリおばあさんの塩野七生さん。
私の尊敬する作家さんの言葉を借りれば
「民衆=ポポロ」
S.P.Q.R.(Senatus Populusque Romanus)はローマ市民の意味であるように、ラテン語でまあ、国民・市民・民衆そのあたりを指していると思いねえ。
たぶん英語のpopulationとかpopular当たりの語源だろうね。
話は少し逸れるが、この七生さんの書くローマ人の物語。歴史に興味あるなら読んで損はしない。
カエサルの下りで出てくる、約束を守れなかったガリアの部族に対し、カエサルが
「約定を違える部族は人に非ず。死を持って償え(うろ覚え)」というくだりなんか、
ほんま、生き生きしてる。カエサル、魅力的に書かれすぎよ。
それで、七生さんの本を読んで思ったのはこんな感じ。
ポポロの特徴
責任感がなく
すぐに怠け
ちょっとでも、得するものに群がり
人の言葉に左右され、自分の意見がなく
感情が激しやすい
「パンとサーカスがあれば文句を言わない」し、
小麦の給付権が脅かされれば牙をむき、暴動を起こす。
ほーん。ま、昔の人やからしゃーないね。
現代人は文化上がってるからそんなことするわけない。
そう思います?
こないだの大阪の市長選の時に
「生活保護減らすとか、人の飯壺に手ぇ突っ込む奴は絶許」言ってたおっちゃん。
うちの玄関前にごみを捨てていくやつ。
マルボロの根元まできっちり吸った吸殻。タバコの包装と空き箱。
駄菓子の包装。金麦の空き缶。
絶対同じメンツやわ。これ。
子どもも大人も変わらん。
タンをはき、空き缶を捨て、花見のゴミは持ち帰らない。
政治家に責任をとれと迫る割に、自分の責任は全力で回避する。
人にはshi-んだ方がいいんじゃないかという割に、自分がshi-ぬのを全力で拒む。
環境問題は大事、という割に、車のクーラーは切ることがない。
一貫性なんてあるわけもなく、自分の言ったことに責任どころか覚えてもいない。
チョンボをしても、人を傷つけても「そんなつもりはなかった」と泣いて誤魔化す。
ええそうです。そこらの普通の人ですよ。
自分は常に正しい
自分が良ければいい
自分は平均的(より上)だと思い
自分は価値があり
自分は気持ちのいい奴だと思っている。
そして他人は価値がなく、バカで、自分より下なんだから、自分に貢ぐべきだ。
そして、その普通の人は、自分で気づいていないけれど心の中でこう思っている。
誰しもポポロな部分は少しくらいはあるもんだけど、世の中には純度の高い、純血種のポポロもいるんです。
この純度の高いポポロを、私は「バカ」とカテゴライズしてるのです。
感情が絶対で、感情と忌避を中心に行動する。脊髄と間脳だけで判断してるねきっと。
自分の周りにはいない? 普段は目をそらしてみない振りをしているか、生活ゾーンが違うから目に入っていないだけ。
多分日本の半分は純血のポポロで満たされてるはずです。適当だけどな。
2000年前にもいたし、今も変わらずいます。
アジアにも、アフリカにも、アメリカにもヨーロッパにも中東にも。
ありとあらゆる場所は、ポポロが支配(過半数奪取)してるはず。
だから政治はよくならないんですよ。テレビは愚かで嘘ばかりつくんです。バカの機嫌をとるためにです。
ヨーロッパの思想にはCのつくあの人(立川の彼)ベースにした「人間は、文化は、文明は進歩し、改良し、より良くならねばアカン」っていう思想や哲学がある。
だけど、バカの絶対数考えたら「輪廻ですよ。ウロボロスの蛇みたいに同じとこグルグル回ってるんやでー」っていう東洋思想の方が、世界を表してる気がするなあ。
進歩なんかないんやで、っていう虚しさも含めてね。
それでも今の日本人は、昔よりすごいって、外国から褒められてるやん。違う?って思った人。
ポポロの共通点が変わることなく、保持されてるのは何でか。
小金もって、欲求満たされてさえいれば、ポポロはおとなしいもんだ。
生活水準が戦争や災害で引き下げられた時に「ヒャッハー!」な世紀末的人間が跋扈するのは何でか。怖いのは、貧乏になって、ストレス感じた時やん。
90年代になるまで、大阪のあそこの警察署が焼かれた事件。神戸の地震であの時、美談に隠れて何があったか、語られない話も多いと思うよ。
おそらく、教育も、啓蒙も一部の「気づいて覚えていられる」知識人候補向けへの財産であって、ポポロは いつも享楽的に、そしてすばやく積極的に増えていくんだろうと思う。
ま、それもしゃーないな。と思う。
でも、バカへのいらだちはやっぱり吐き出してしまうなあ。
こんなに書いて大丈夫なのか?
うん、たぶんバカは3行以上、長文を読まないから問題ない。