ちょっと前に流行したマイケル・サンデルのお話。
あれ以降、正義がまた勘違いされてる気がする。
デブを落としてトロッコを停めるべきか。
正解の答えなどない。
1.トロッコは偶然脱線する。
2.突き落としたデブの遺族から殺人で訴えられる
3.デブは挽かれ、5人も挽かれる。
なんだって起こりうる。この問題は、自分の中にある正義を考えるための設問であって、「正解を探す」問題ではない。
でもね、答えがない問題はストレスを与えるらしい。愚民はすぐに「これが正解だ!」と飛びつくわけで。
同じところに紹介されていた「臓器くじ - Wikipedia」
これはどうだろう。
くじで選ばれた人間をばらして、その臓器を取れば10人(100人でもいい)が救われるとしたら?
悪趣味だなんだ、を置いて考えてみよう。
私の答えはすでに決まっている。
病気という運命を受け入れろ。
故に籤は認めない。
自分が病気になっても、それに準じるつもりだ。
ところが最大理由の幸福を盾に「籤を取り入れる」を選ぶ人が多いのには驚かされる。
この問題のところにある注意書きの多さに気づいていないのだろうか。
※くじにひいきなどの不正行為が起こる余地はないとする。
※不正行為が起こる余地はないとする。
普通にやったら不正が起こるってことじゃないですかやだー!
臓器をとられるのは、どんな立場の人だろうか。
臓器を優先的にあてがわれるのはどんな地位の人なんだろうか。
うん。わかりきったことですよね。
世の中の役に立つ選民は優先的に生きなければいけないし、ねえ。
必要ない人が生きている意味ってあるんでしょうか。
そうなるに決まってる。いや、道理としてそうなるのは確実でしょう。
簡単なひっかけにすぐ騙される。だから民衆は大嫌いだ。