不適合者のジャンクヤード

腑に落ちるか落ちないか、読む人次第。拾い物があればご自由に。

足るを知る その2

富を捨てると何が起こるのか

 

富を捨てろと迫る宗教者。しかし、捨てることによって身軽になったと感じなければ、このことばは長続きしない。

ということは、持ち物を減らすことで感じ方や考えが変わるということだ。

 

仮説その1 責任を持つプレッシャー

 

富は蓄積するほど、なくす恐怖も大きくなることを知る人は少ない。

なぜなら、ほとんどの人は大金と縁がないからだ。

100万円の貯金よりも、一億。そして一兆円持った時にプレッシャーは大きくなる。

おっさん向けに分かりやすく言うなら「桃鉄スリの銀次にあった時の落胆」が近いはずだ。

捨てることで、誰かに身をゆだねることで、その悩みからは解放される。

宗教を信じれれば、命を失うことでさえ怖くなくなるのだから。

 

仮説その2 ショックアブソーバー

 

財産や、多くの食べ物は身を守ってくれる。

家の中は快適で、食事は常に、美味しいものを食べていると「不快」であることを忘れていく。

富があれば、お金を使うことで不快を避けられる。

 

スイカに塩をかけると甘さが引き立つように、快を感じるには実は不快も必要だ。

財産を失えば、今まで知らなかった不快が山ほど襲い掛かってくる。

 

暑い。眠い。体が痛い。日差しがキツイ。のどが渇く。

食事はろくに取れなくなり、常に不満が渦巻く。

 

そこに食事が来る。不快は快に替わり、心が満たされる。

神に、食事に感謝しましょう。amen。

 

感情のふり幅が大きくなったことを指して「生きてる実感」と言う。

 

その3 限界効用逓減

 

よく、先進国の人間が途上国の子供を見て

「生き生きしてる」

なんていうのと同じ。

少ないリソースで必死になって生きていれば、満たされた時の満足度は高い。

富を捨てれば、必然満足度は上がる。

捨てなきゃよかった? そんな後悔をする人は修行が足りないとみなしますね。

 

 

旅行、そのなかでも貧乏旅行なんてのは一時的にこんな状態になる。

だから旅行は癖になる。プチ悟りじみたことを言いだし、目を輝かせて旅行にこそ真実があるなんて思ったりする。

あ、これ私の体験でもあります。

だから旅行者はプチ悟りじみたことを言う。

悩みがなければ、人は脂肪にくるまれて、ショックから身を守るほうが心地いいにきまってる。物足りなくなったら、一時的に断食したり、生活レベル下げればいいんだけどね。

 

宗教や、自己啓発なんて、みんなこの仕組みを使った詐欺的なところが往々にしてある。経験がなければ、手口を知らなければいちころだね。
ましてやトラブルにはまってるから、視界は狭くて、これが唯一無二と思ってしまう。

騙されたらあかんよ。