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不適合者のジャンクヤード

腑に落ちるか落ちないか、読む人次第。拾い物があればご自由に。

麻雀で学んだこと

学生時代、麻雀をする機会に恵まれていた。

いつもメンツがそろうものだから、毎日とはいかなくても週に四五回は当たり前。

 

そんな思い出があるものだから、一つギャンブルの擁護をしてみたいと思う。

 

1.確率について考えるようになる。

 

ギャンブルはすべて、確率のゲームといえる。

来るか来ないかわからない。いくつもある未来のうちの一つがゲームが終わったときに確定する。

賭けて当たっていれば配当がもらえ、外れれば取り上げられる。

 

嫌った辺張ドラが、切った次の順で来るなんてのは当然。最後まで取っておいたドラで上がられるのも当然。

かと思えば、いつまでも平和すら上がれずに最下位なんてのもよくある話。

※麻雀知らない人には何を言っているかわからないと思います

 

ギャンブルが怖い、嫌いだけど体験したことがないというのなら、一人で実験をしてみることをお勧めします。

 

どこの家庭にでもある「硬貨」

これで裏表をかけて賭けてみればいい。

紙に想像の金額を書いて、コインを振る。当たれば二倍もらえ、外れれば0になる。

増減をメモしながら、どういう風になるかを体験すると少しはイメージがわくはず。

裏・裏・裏と続いた次は何が出るのだろう。

 

確率はある程度までは参考になるけれど、絶対ではないということを学べます。

 

2.ペーソスが理解できる

 

例えば、ジョークがある。

新婚旅行にラスベガスに行った堅物男。妻を置いてカジノへ行き、魔がさして一人ルーレットをしたところ、たまたま賭けた1ドルで大勝。次々と賭けるところに吸い込まれるように目が出る。

大儲けしてついに1万ドルを超えたところで、全部を賭け、そして負ける。

妻に言った言葉が、「1ドルすってしまったよ」

 

人生にある苦みの部分は、子どもでいるうちは理解できない。

偶然と運に振り回されるのが人生で、その苦みと甘みを短いうちに経験できるのがギャンブルだといえる。

 

3.失敗の経験ができる

 

命まで取られるわけじゃない。失敗が許されない風潮がある日本。

すぐに命で償おうと極端に走る風潮があるが、ギャンブルは生き汚くなければダメだ、と学べます。

 

最後のコインを失うまでは。

失ってもなお、次のゲームがあれば賭けられる。

野球選手は7割の失敗でも成功者と呼ばれるように、ギャンブルではお金を失っても、最後に立っていられれば勝ちなんですね。

メンタルが折れてしまったら、自暴自棄の行動しかとらなくなるわけで。

最後の最後まであきらめたらダメなのは、高校野球もギャンブルも同じ。

「勝つ。ではなく凌ぐ」が大事だと思いますよ。人生も。

うまくいかないときに何ができるかが、人の真価が問われる時でしょう。

 

4.人間の本性が見える

普段気のいい奴に思えたやつが、ギャンブルの負け金を払わなかったり。

ケチだと思ったやつが、いの一番に負け金を払ったり。

 

どこで読んだかは忘れたが「ギャンブルは紳士的な行為」に他ならないとのこと。

理由は、社会的には禁じられ、約束を守る必要は法律上一切ないのにもかかわらず、その契約を履行する。

これが紳士でないと言えるのだろうか。とのこと。

自分は紳士でいられるのでしょうか。試されます。

 

5.小さい死を経験できる。

財産を離し、委ね、無くすという経験はそう経験できるものではありません。

思い通りにならない運命にゆられ、生きて還れる時もあれば、すべてを失う、つまり小さな死を経験できる時もある。

 

戦争に行かなくても、鉄砲の弾の嵐の中を歩くような臨死体験ができるギャンブルは、少なくとも度胸がつくように思います。

 

とはいえギャンブル、投資は自己責任で。

※以上の文は、あくまでも「思考ゲーム要素・確率論が関係するカジノゲーム/公営ギャンブル/麻雀」等の擁護であり「パチンコ・宝くじ」などは除きます。