タイトルにこう書くと、なんだか意識高い系の話が始まりそうですよね。
んなこたーない。
不適合者がそんなこと言うわけがない。
トム・ソーヤーの冒険、このタイトルを覚えている人はどれだけいるんだろう。
作者のマーク・トウェイン - Wikipediaは間違いなく変人で、社会不適合。
ただし知の大人であることは間違いない。
私の子供のときの国語の教科書には「トム・ソーヤーの冒険」が載せられており、非常に印象深かった。
エピソードの一つがこうだ。
壁塗りをおばさんに命じられたトム。暑い日のさなか、ペンキを塗ることが嫌でしょうがない。
友人たちは日陰から「ざまあ」という目で見ている。
一計を案じたトムは急にもったいぶって、楽しそうにペンキ塗りをするふりを始める。
冷やかしていた友人たち、トムがあまりにも楽しそうに仕事をしているのでなぜかと聞く。
トム曰く「子供がこんな大人の仕事をするチャンスなんてそうないからね。」
希少価値をちらつかせることで俄然やってみたくなり、友人はトムに変わってほしいと申し出る。
しかしトム。この申出を拒否。こんなチャンスを逃してなるもんか、とますます価値を吊り上げる。友人たちはポケットから宝物を取り出し、これをあげるからぜひ変わってくださいと下手に出る。
トムはポケットに友人から巻き上げた宝物を突っ込み、木陰でのんびりと仕事をする友人をあざ笑う。
ポイントは「希少価値を与えれば、人は喜んで金銭を支払う」という点。
これは大人でも変わらない。宝石に「歴代著名人が身に着けていた」となれば価格は上がる。A5牛一頭からとれる希少な部位、といえば食べてみたいと思う。
GDPの話をしよう。その一年で、国家が無から生み出した金銭的価値がGDPだ。
日本はこの10年ほど400~500兆円強を毎年生み出したと国の報告書にはある。
さて、この生み出された価値であるが「毎年無に戻る必要がある」
なぜか。消費するためには、スペースが必要だからだ。
家を持っていれば、二件目の家はいらない。車もそうだ。
食料だって、保存のきくものをため込んでしまうと来年は買わない。
そうすれば消費活動は停滞する。
国が作るインフラは大型で大金を使うけれど、一度作り出すと修繕するだけで何十年~100年単位で次のものを作れない。道路があちこちにひかれ、トンネルを掘りと数十年続けた結果、日本はすでに道路を満遍なく敷き詰めてしまった状態にある。
では何で消費させればいいのか。
家は、10年たったら古いもの、と認知させればいい。
車は3年たてばダサいと周知させる。
夜は遊びに行くのがおしゃれと言おう。
珍しい食べ物は一万円払っても食べてみたいと思わせればいい。
SNSを使っていいねを付けあうのが「必要」と思わせれば。
仕事から帰ってきたら休息にあてるのが普通だった50年前と今は違う。
有限な時間を労働に使い、そのあとはキャリアアップに勉強、趣味に、消費に、旅行に、インターネットに買い物にテレビにSNSに使わせる。
家族サービス、というお父さんの言葉にすべてあらわされている。
家族はせっつくが、お父さんは休みたい。
消費活動は「望んで行われる」とは限らないということだ。
スマホのゲームで課金をしガチャを回し、ゲームに5時間使わなければ強くなれないとすれば。これはもう立派な労働だ。
一方ゲームを作っている会社は収益を上げ、株主はもうかり、税金は国に入る。GDPも5兆円ほど活性化するのだろうか。
80年代からこの風潮は加速し、日本のGDPは右肩上がりだった。しかし子供が減り人口が減り始め、高齢化が進む社会は消費力が明らかに下がっていく。
これ以上消費させようにも、財布にお金はなく、夜中まで起きて活動している労働者の体力、精神力はもう限界近くまで来ているのではないかと思う。
官僚の皆さんは、もう少しこの点を。。。考えてくれるのでしょうか。