失敗したのなら責任をとれ、という論理があるとしよう。
失敗した人間を「本人」、損害を受けたものを「雇用主」として話を進めてみる。
考えて見る必要があるのは
1.その任務は「本人」が望んで始めたことなのか。
2.任務成功の報酬は「本人」が受け取ることができるのか。
3.失敗の損害は「本人」が無限に負うと契約がされていたのか。
4.「雇用主」が求める責任とは、いかなることを指しているのか。
日本はこのあたりがふわっとしたまま、いろんな場で話が進む。
お隣の国々も同じようなところがある。
・メンツが一番
・感情激発
・水に落ちた犬は叩け。
労働における責任とは、時間内は労働の場に拘束されること。雇用主の求めることを、能力内で努力して実行すること。このぐらいではないだろうか。
人間は必ず失敗する。飽きが来て注意がそれる。疲労からペースが落ちる。間違える。
失敗の責任とは、本来その見極めが出来ていない雇用主が負担するものだ。
なぜなら労働者から得られる仕事成果の収益は、雇用主が独占できるからだ。
労働の場では、先の問1~3はすべて「いいえ」となる。
そして問4は「罰金・暴力・解雇」そのすべてが禁じられている。
失敗した時。
誠意を見せろ。責任を果たせ。
そういいながら、その内容については「as you like.(お前が考えろ)」と迫る人間は、組織は詐欺師かヤkuzaといっていい。
自分で弱みを見せた人間は、とことんまで搾り取れることがわかっているからだ。