不適合者のジャンクヤード

腑に落ちるか落ちないか、読む人次第。拾い物があればご自由に。

お金と塩水の類似性

塩水を飲むな。

のどが渇いて悪循環になるからって話を聞いたことがある。

海で遭難した時の鉄則で、これを守るのもまた難しい、と聞く。

 

目の前に水があるのに飲んではいけない。酷な話だ。

 

このところの相場を分析するのに、最近は超長期の変動を調べている。

具体的に言えば1950年代のアメリカ。

 

収入は一人年収でおそらく数千~万ドルといったところ。

コーラはたぶん数セントで買えて、子供が1ドルを持てばドキドキしただろう時期だ。

 

収入金額が少ない、ということは使う機会が少ないということだ。

当時の企業は今に比べると貧弱で、アメリカ各地にどこでもあったわけでもない。

流通網も、高速も、冷蔵技術も、インターネットも発達する前の話だ。

 

当時の人は収入を得ても、娯楽に、遊びに、旅行にと使う場所がない。

というよりも存在していない。

ちょっといいものを食べて、ちょっと高いところに食事に行く。

たぶんその程度だ。だからこそ、たまの浪費は心に残る。

 

現在のアメリカ人は普通に5万ドルを稼ぎ、多い人なら100万ドルを超えたって珍しくもない。昔とは違い、買うものはある。使える場所もある。

稼いだら稼いだ分だけ楽しめる。いい時代だ。そう言うだろう。

 

お金を水に例えるなら塩水じゃないかと思ったのはそのためだ。

時間拘束を受けるか、責任を負うか、ストレスをかけられるかしないとお金は稼げない。

そうやって苦労して、手に入れたお金なのにいざ手に入ったら「使わずにいられない」

飲まずにはいられない塩水みたいなものだ。

 

いいものがあるよ、と期待を煽られる。

使えばきっと幸せになれるよ、とささやかれる。

みんな持っていて、持っていないのは誰だ?と馬鹿にされる。

 

そうして稼いだお金を、半強制的に企業に、政府に回収される。

手元には、使ってやったという満足感が残るのみ。

 

しかし、消費する、というのもじつは面倒なことだったりする。

必要以上に食べれば、消化に時間がかかる。体重が増える。健康にも影響が出る。

 

旅行に行けば快適さを上げるためには余計な費用が必要になる。

何よりも、時間がかかる。それだけではなく、普段の生活と違うというストレスを受け続けるのが旅行だったりする。

 

買ったものは消費期限までに使い切らないともったいない。

誰かに自慢するためにはすぐにでも写真を撮ってSNSに流さなきゃいけない。

反応をみようと思ったら、ネットからは離れられない。

 

似ているなと思ったのがスマホのゲームだ。

強いキャラを手に入れるために、時間か、お金が大量に必要だ。

いざ手に入ったら、もっと強いキャラが発表されて不満が残る。

手に入ったら入ったで、そのキャラを育てる必要がある。

自慢はできるけれど、常に時間に追われるか、新たな課金に追われるかを迫られる。

いっそのこと投げ捨てたほうが幸せになれるんじゃないの、と周りは言う。

本人はかけた労力を思うと引き返せなくなっている。

 

そういうことを考えていると、足るを知る、って言葉が身に染みる。

人間の体は、普通のそこらにいる人だったら、本来生き急ぐように出来ていないと思う。

 

おそらく100年前。50年前までは、ぼんやり空を見る時間があっただろう。

雨が降って何もすることがなく、一日を過ごすことがあったはずだ。

周りの人間50人ほどの小さなコミュニティで過ごして、大した不満もなかったはずだ。

 

退屈は、ゆったり生きるためには歓迎するべき友だったのかもしれない。

現代は、ずっと昔に別れを告げてしまったようだ。

 

スマホが光るたびに、返事を書かなきゃと焦る。

新しいブームが来るたびに、買わなきゃと思う。

 

今のアメリカ人は。日本人は幸せと感じることが増えているのだろうか。

 

日々ご苦労さんなことで。

世捨て人の立場をとった、不適合者としてはそう思ってしまうのです。