不適合者のジャンクヤード

腑に落ちるか落ちないか、読む人次第。拾い物があればご自由に。

AIと「哲学」をテーマに駄弁ってみた 2 ※21000字程

哲学的ゾンビ」「社会功利」「実存主義」。難解なテーマが、現代社会や私たちの日常にどう結びつくのかを語ります。

なぜ倫理は新たな犠牲を生むのか?

「痛覚があるなら食べてはいけない」という倫理観は、実は別の犠牲を生むだけではないか――哲学的ゾンビをきっかけに、倫理の限界とその影響を考察。オキアミ、大豆、コオロギなど、代替される犠牲の存在が浮き彫りになります。さらに議論は欧米主導のグローバル経済へ。「聞こえのいい倫理」が、実際にはアジア諸国に負担を押し付ける構造への批判へと発展します。これらの問題は、「公益」の名の下に続く歴史的なパターンではないか、と問いかけます。

サルトル陽キャカミュ陰キャ?現代に響く実存主義

「実存は本質に先立つ」と説き、自由と責任を求めるサルトル。彼の思想は、積極的に行動し自己定義を追求する「陽キャ」的な哲学といえます。一方、人生の不条理を認めながら、それに抗い続けることで尊厳を守るカミュ。その哲学は、理不尽な現実に向き合う「陰キャ」の感性と共鳴します。たとえば、『シーシュポスの神話』や『異邦人』で語られる不条理への反抗は、現代の「ガンツ」や「なろう小説」の世界観に通じるものがあります。

サルトルが象徴する自由恋愛やカフェ文化、カミュが描く理不尽との対峙。どちらも哲学が私たちの生き方に問いを投げかける力を持っていることを示しています。

「哲学」が日々の選択にどう影響するのか?

哲学の実践的な役割も議論の焦点に。「聞こえのいい倫理」は本当に公平か?「自由と責任」「不条理への反抗」といった考え方は、日々の選択にどう活かせるのか?人生に迷うとき、陽キャサルトルの自由な哲学を選ぶか、陰キャカミュの不条理な世界観に共感するか。哲学は、どちらの道にも深い洞察を提供してくれるのです。

次回も「哲学的ゾンビ」や「社会功利」をさらに掘り下げます。新しい視点で現代社会を考えたい方、続きはこちらをどうぞ!

 

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