「キャンセルカルチャー」という言葉は近年注目されましたが、現象自体は古代ローマや中世にも類似例が見られます。
たとえば、ローマ時代の「ダムナティオ・メモリアエ」(記憶抹殺)や中世の異端者に対する遺骸処理など、人々が「存在を消し去りたい」と願う感情が形になった事例は数多くあります。現代のSNSやストリーミングからの削除といった「デジタル粛清」は、これらの歴史的な行為の延長と言えるかもしれません。
興味深いのは、人々がキャンセルに際して抱える執念や「揺り戻しの感情」が、後の時代から「やりすぎ」として振り返られることです。この無限ループは、人類の悲喜劇を象徴しています。まさに「記録は永久に残る」時代において、こうした行為が後々「黒歴史」となるのは必然とも言えるでしょう。
また、社会が「賞」や「罰」を通じて個人を象徴化する傾向にも話題は及びました。プロ野球選手の「国民栄誉賞をもらったら、立小便ができなくなる」というウィットに富んだ発言は、栄誉の重荷や世論の気まぐれさを見事に突いています。賞も罰も、気まぐれな世論に左右される「一時的な熱狂」に過ぎないのかもしれません。
そんな中、キャンセルや過剰な称賛を超越するためのヒントは、「ユーモア」にあるのではないでしょうか。賞罰の重みを冗談に変える力こそ、自由を手にする最良の方法かもしれません。「正義」のエクスタシーに溺れるのではなく、一歩引いて世の中を眺める視点が、現代に求められているのです。
https://unsuitable.hatenablog.com/entry/2024/12/27/200000