「ありがとう」って、実はお金みたいなものかもしれない。
かつて家族や共同体の中で無償でやり取りされていた「感謝」は、労働の外注化とともに市場化され、いまやサービス業の中心になっている。感情労働、ホスピタリティ、カスタマーサービス──これらはすべて「感謝を売る仕事」だ。
でも、この仕組みは単に「便利」になったわけではない。かつて内製化されていた労働が外注化されることで、感謝はコストとして明確になり、個人の負担は減ったはずなのに、なぜか社会全体のストレスは増している。そして、家族の分断、孤立した個人、増え続ける消費と経済競争……この流れが、「感謝の外注化」と無関係とは思えない。
さらに、SNSでは「感情通貨」の赤字が深刻だ。自分の成功を語ると誰かが嗤い、誰かを叩けばドーパミンが出る。批判は手軽な快楽となり、疲弊しながらも続けてしまう。一方で、感情通貨を安定して得るには、SNSの「いいね」ではなく、身内やリアルな友人関係のほうがよほど確実なのではないか?
そんな中、「スルー安定」や「情報遮断」といった戦略が重要になってくる。SNSや世間の怒りの連鎖に巻き込まれないためには、
「即ブロック」「禁止ワード」「#猫動画」「#しあわせ」を活用し、自分の足元だけを守る。世界全体を変えようとせず、自分の心を守る──それこそが「鹿革の哲学」なのだ。
「感謝」はお金に換えられるのか? それとも、そもそも市場化してはいけなかったのか? 労働、家庭、SNSをつなぐ「感情通貨」の視点から、現代社会のひずみを見つめ直してみよう。
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