「盗んだバイク」と「盗まれた歌詞」、どっちが本当に“自由”を奪っているのか――そんな突拍子もない問いかけから始まる、著作権をめぐる深掘りトーク。
尾崎豊の「15の夜」は自由を叫んだ曲なのに、それを守っているはずの著作権(JASRAC)が、むしろ創作の自由を奪っていないだろうか? そんなアイロニーを、思いきり茶化しながら突っついています。
特に注目なのは、著作権の保護期間が長期化しすぎて「特許よりもガチガチに守られ、死後70年どころか100年以上も管理される可能性がある」という点。実用新案が10年、特許が20年で公共の利益に貢献できるのに、楽曲だけはなぜか“ほぼ永久”に独占される――これ、本当に「文化のため」になっているの? と疑問を投げかけます。
さらに突き詰めると、著作権は亡くなった作者の遺族すらいなくなっても続くのでは? という大胆な仮説へと発展。「歌を作った本人が『自由』を叫んでいたのに、実は作品は管理団体に縛られてしまう……」という構造を見ていると、もはやどちらが“盗んだ”のか分からなくなるほどです。
本来の著作権は「アーティストに正当な報酬を、文化を豊かに」というはずが、気がつけば「ワンフレーズ引用すらアウト」「パロディもNG?」と、創作を阻害する側面が強くなっている。そんな世知辛い現実を、会話では皮肉たっぷりに笑い飛ばしながら、「自由と権利の本当のバランスって何だろう?」と問いかけます。
「もし尾崎豊本人が生きていたら、今のJASRACの姿勢をどう見るのか?」「『盗んだバイクで走り出すな!』と、著作権ガチガチで訴えてくる尾崎像があったら?」――想像すると笑えるけれど、シャレにならない話題が盛りだくさん。著作権問題に一石を投じるネタ満載のやり取りを、ぜひ本編でご覧ください。
笑いながらも、「このままじゃ文化が守られるどころか、かえって錆びついてしまうんじゃない?」と考えさせられる内容ですよ。
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