「NHK朝ドラの“踏み台美談”、ちょっと待った!」
「なんで親父世代だけ、こんなに雑に扱われるのか?」
「朝ドラって、世代間の犠牲を感動ストーリーにしすぎでは?」
NHK朝ドラ『おむすび』を見ていると、そんな疑問が湧いてくる。
本作では、父親(あるいは息子として描かれる世代)が 「踏み台」 として消費され、ただの不幸な背景キャラになっている構図が目立つ。
✔ 大学進学資金を勝手に使われ、夢を諦める息子。
✔ 震災や病気で人生が崩壊し、救済されることなく退場。
✔ 一方で、孫娘や義理の息子は成功し、華々しく物語を彩る。
まるで、次世代が輝くための「美談回収」装置のように父親の人生が消費されていく……。
この「感動ポルノ」的な構造、果たして本当に共感できるのだろうか?
“ブラック企業的家族愛”とドラマの宿命
この展開、どこかで見たことがある。
✔ 「家族なんだから黙って犠牲になれ」 というブラック企業の論理。
✔ 視聴者層(主に高齢女性)の共感を得るための、お決まりの美談パターン。
✔ 「次世代のためなら、人生なんて捧げて当然」的な古臭い価値観の再生産。
ドラマの展開としては説得力があるかもしれないが、
それが「昭和の価値観をなぞるだけ」になっていないか?
たとえば、伝統芸能である歌舞伎は 「受けるための様式革新」 を繰り返してきた。
なぜ、現代のドラマは「昔の物語をそのまま繰り返す」だけなのか?
バブル時代懐古がエンタメの鍵になるとも言われているが、それもただの懐古消費に終わるのか?
“次の一手”はどこにあるのか?
✔ 父親世代は本当に救われないのか?
✔ バブル時代懐古は、新しいエンタメの軸になり得るのか?
✔ これからのドラマは、「なぞるだけ」ではなく、どう革新できるのか?
このままでは、日本のエンタメは「懐古」と「使い捨ての感動」に縛られ続けてしまう。
だが、もしドラマが「昭和の焼き直し」ではなく、“現代の視点で再構築” できたら?
そこに、新たな物語の可能性が生まれるのかもしれない。
この問題、ちょっと真剣に考えてみたくなりませんか?
https://unsuitable.hatenablog.com/entry/2025/02/26/170000