「自由・平等・博愛」って、なんか学校や革命のスローガンっぽいけど、これを家庭、特に“親と子”の関係に当てはめたらどうなる?——そんな問いから始まった今回の対話。
理想論を語るだけなら簡単。でも、実際の家庭にはリソース不足も、歪んだ期待も、「全員が勇者になれない」社会構造もある。RPG世界観のたとえ話を交えつつ見えてきたのは、世界がそもそも「残酷が前提」で設計されているという現実だった。
「すべての人に愛の手を」とか、「あきらめるな!」という希望的メッセージも、届かない場所では「パンがなければブリオッシュを食べればいいのに」くらいの空虚な言葉になってしまう。
“家族”という最小単位の中でも、「自由」「平等」「博愛」のバランスが崩れると、うまく回らない。
むしろ、そのどれかが欠けたり、全部がなかったりする家庭がたくさんあるからこそ、人間はこんなにも多様なんだという気づきが生まれる。
そしてラストにたどり着いたのは、物語の裏にある「描かれない犠牲者たち」。
勇者の物語の裏で、誰も語られないまま倒れていった“名もなき冒険者”たちが、現実世界にも確かに存在している。
理想を語ることも必要だけれど、それが「なぜ届かないのか」という違和感に敏感でいたい。
そんな“ひっどいたとえ話”から浮かび上がる、静かな問いかけと小さなまなざしの物語。
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