「排泄物」という言葉を見ただけで不快になる人々。
その感覚は尊重すべきか、それとも「知らんがな」で済ませるべきか?
本記事は、そんな**「不快」の境界線と現代人の仮面性**を徹底的に皮肉とユーモアでぶった斬ります。
発端は、立川談志の弟子入りエピソードに添えられた一文。
「罵倒されても最終的には感謝しているので、SNSで炎上させないでください」
この一文に込められた**「時代の防衛反応」と表現の自己検閲の始まり**に対し、筆者は「ついにここまで来たか」と思わず天を仰ぎます。
CMで「これは個人の感想です」と高速小文字が踊るように、今やすべての表現が「一応言っておきましたよ?」と事務処理化していく様に、ため息と皮肉が止まらない。
さらに議論は深化。
・徒弟制度や小規模文化が、コンプライアンスや外部監査に「一律適用」される矛盾
・読者の怒りが「そっ閉じ」ではなく「出版社突撃」になる奇妙な正義
・「クソが!」と叫ぶ本音を抑え、仮面を被って「いかがなものか」と取り繕う社会の薄ら寒さ
最後には、「排泄物」という単語ですら言い換えを迫られるコンプラ社会に、「その物質、言い換えても中身は変わらんでしょ」という、**核心を突いた“お排泄哲学”**が展開されます。
「生体廃棄物」? 「体内の結果物」? 言い換えた瞬間、意味がどっか行ってるわ!
注意書きを書くべきか、書かざるべきか?
答えはこう。
「そもそも読むか読まないか、あなたが決めてくれ!」
このブログの読者ならきっと、わかってくれるはず。
ユーモアで殴り合い、皮肉で仲良くなる世界へようこそ。
https://unsuitable.hatenablog.com/entry/2025/04/05/200000