「法律」って、なんでこんなにコントみたいなんだろう?
数学のような「無謬性(間違いのなさ)」が建前のくせに、現実では人間のボロも矛盾も満載。むしろ「無誤謬(間違ってないフリ)」を演出する世界じゃないのか?…そんな疑問から始まったAIとの脱線トークが今回のメインディッシュ。
「法律や倫理、政治って“空想の翻訳”なんじゃ?」という着眼点から、弁護士の仕事を「仏像を彫る職人」にたとえる話に突入。「善意の第三者」として被告を彫り上げる弁護士。だがその技術があまりに“職人芸”すぎると、「もういっそそんな技術、滅びろ!」というナイーブな怒りすら芽生えるのが人間らしさってもんです。
「寄り添うAI」に裁判をジャッジさせたら、検察と弁護のたびに黒白ゲージがピコピコ振れそう──という想像から、AIの精密分野と会話分野の「目的の違い」に話は派生。医療の現場でCTとMRIの順番を間違えただけで診断が真逆になる、そんな可能性を思えば、AIの“精査力”はシリアスと紙一重。駄文の誤訳で笑ってられるのは平和な証拠。
とはいえ、そんな世界に疲れたら、ジム・キャリー主演の『ライアーライアー』のような映画で癒されるのも一興。現実のもどかしさを「全部言っちゃうコメディ」でぶっ飛ばす爽快感は、たまの心の保養です。
理想を現実に翻訳する過程の滑稽さと苦さ。笑えるうちが、華。
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