「助けたい」は本当に善意か、それともマウントか?
そんな問いから始まった今回の対話。救済行為の背景に潜む「優位性の確認」や「代理救済」、さらには「共感性羞恥」といった心理的原動力までを洗い出していくと、善意とマウントの境界線は思ったより曖昧だったりする。特に、緊急性がない「社会改革的な支援」になると、「助けてあげてるんですよ」という“善意の演出”が、実は優位性の誇示にすり替わっている可能性すらある。
そこに登場するのが“感情通貨”という概念。感謝、誠意、笑顔──これらが実は金銭と同じように流通しているという指摘は、ちょっとゾッとする。さらにその通貨が「美人のありがとうは普通の10倍の価値」とか、「ツンデレの感謝は爆益」とか言い出した途端、話はもう止まらない(笑)。リアルタイムでAIが感謝を判定し、経済価値として記録される社会。そこでは偽装感謝によるインフレや、“感謝貧困層”といった新しい格差も生まれていく。
「助けるとは仕事なのか、サービスなのか」──これはもう社会全体で考えるべき問いであって、簡単に答えが出るもんじゃない。ただひとつ確かなのは、感情はすでに通貨として流通していて、私たちはみんな、気づかぬうちに「感謝経済」のプレイヤーなのかもしれないってこと。だから最後にこう言いたくなる。
「助けたいって言うけど、それって利子ついてない?」
https://unsuitable.hatenablog.com/entry/2025/04/30/200000