少子化の原因を「お金がないから」や「自由が増えたから」と短絡的に語るのではなく、歴史の奥底から掘り起こして考えてみた──今回の思考実験の後編は、そんな深掘りの連続だ。
農地改革からまだ100年も経っていない。
かつて「土地」は家系や地域の基盤であり、そこに根を張って暮らすことが「生きること」とイコールだった。
「土地を守るために子を持つ」「家を継がせるために家族を維持する」──そんな当たり前が崩れたのが近代の話であり、今の「少子化」や「社会分断」の出発点だったのでは?という仮説が語られていく。
土地を失えば“残すもの”がなくなり、ルーツの意識も希薄になる。その先にあるのは、「誰のために生きるか」が曖昧になった人間の姿。エゴイズムが広がり、助け合いの言葉だけが空回りする現代社会に通じる。
税は「働いた土地に払う」べきじゃないの? 代官システムのリブートも案外ありでは? 地方が潤えば、殿様(=地元リーダー)への忠誠も生まれる。かつての「一所懸命」は、ただの古い言葉ではなく、「帰属とやる気の再発明」かもしれない。
とはいえ、封建制を真に復活させれば当然「身分制度の固定」「自由の剥奪」「産業の停滞」といった副作用が付きまとう。だからこれはあくまで“仮想実験”。
「混乱のコスト」を前提にしてもなお、人は「帰属」なしではやる気も希望も見失っていく──それが今回の骨子だ。
家族がいなければ、土地がなければ、未来に何を託す? 少子化とは、「未来の預け先」が消えた結果ではないかという、ちょっとしんどくてちょっと刺さる仮説が、今回の読後感として残る。
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