きっかけは、なんとなく流れていた『おサルのジョージ』。
主題歌のクレジットにあった「岩崎良美」という名前から始まったこの対話は、意外な場所まで転がっていきます。
「岩崎宏美と声が違うけど、名前似てるよな?」──そう思って調べたら、なんと実の姉妹。
しかも、良美さんが芸能界入りを希望したとき、両親から「宏美がいるから2人もいらない」と反対されていた。
そこで姉・宏美が両親にブチギレ、「妹の夢を壊す権利があなたたちにあるの?」と啖呵を切る。
──このエピソード、まさに『タッチ』の“夢を受け継ぐ兄弟の構造”と酷似していませんか?
しかも、その『タッチ』の主題歌を歌ったのが、まさに岩崎良美。
そして作者・あだち充自身も、兄・あだち勉の支援によって漫画家デビューを果たし、彼との関係が作品に色濃く投影されていた。
「兄の夢を、弟が自分の形で受け継ぐ」──まさに『タッチ』の骨格そのもの。
さらにそこから、作家ケン・グリムウッドの『リプレイ』へ。
小説の冒頭で主人公が心臓発作で亡くなるのと同じように、作者も実際に心臓発作で死去。
フィクションが現実を“予告”してしまったような、寒気すら覚える偶然。
そうして浮かび上がるのは、こうした“作家自身の物語”が、作品の構造として静かに織り込まれているという事実。
あだち充は「設定のミスすらギャグに変える」「意味は後から捏造する」と明言しており、穏やかな画風の裏で“編集部への反抗”と“スポ根への皮肉”をひそかに燃やし続けていた。
──すべては、ただ『おサルのジョージ』を見ただけのはずだったのに。
人が描く物語には、驚くほど多くの“構造的な本音”が潜んでいる。
それをふとしたきっかけで発見できる瞬間こそ、読書でも視聴でもなく、“語り直し”の醍醐味なのかもしれません。
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