不適合者のジャンクヤード

腑に落ちるか落ちないか、読む人次第。拾い物があればご自由に。

「社会参画に単位をつけろ」ってアイデアをGPTにぶつけたら演劇論が始まった ※16000字程

社会は“舞台”、お前も役者──ポップコーン食ってる場合じゃない。

「全員が舞台に立ってる」社会なんて理想論?
いや違う。「社会は劇場」、なら全員がなんらかの端役を演じるべきじゃないの?

日本社会の“平等”幻想に一石を投じたのは、北欧モデルの紹介からだった。フィンランドの「男女平等」って言えば聞こえはいいけど、「まず男性の稼働率を下げることです」と言われると、空気が凍る。さらに北欧諸国で進む「女性の徴兵制」。それでも“先進国モデル”として北欧を紹介するメディアは、なぜかこの現実を黙殺する。

「知らないフリ」をしてきたものの、どこかで違和感は蓄積してる。

 

本来、社会は全員参加型のショー。でも今は「ポップコーン食べながらヤジを飛ばす観客」が増え、「役者」を一方的にジャッジする風潮ばかり。「その役、使えないわ〜」と騒ぐくせに、自分が一歩も舞台に上がらないのは何の免罪符にもならない。

 

そこで出てくるのが、“社会参画の単位”というアイデア
子どもも、専業主婦も、お年寄りも、誰も逃げられない「大人版キッザニア制度」。

「介護? 兵役? 公共サービス? 体験してから一票に来てね、坊ちゃん」

このルールの裏にあるのは、「自由と権利を享受するには、社会の仕組みを肌で知れ」というリアリズム。政府が逆切れして「死人が出ても社会回すからな!」と叫ぶ未来を避けるには、今のうちに“全員が役者”になる自覚を、プレ体験で叩き込んでおくしかない。

わかってる、これは理想主義だ。でも理想を笑って放棄したら、ショーは崩壊する。

「監督気分やめて、袖からでも出てきなよ。君の台詞、まだ残ってるぜ?」

 

https://unsuitable.hatenablog.com/entry/2025/05/20/200000