「打率10割のバケモノ」から始まって、「顔を変え続けるヒーロー神話」まで──この対話、野球で始まり神話で終わった件。
打率10割? 完全にヒットしか打たない選手がいたら?
──出塁はする、でも勝負されない、だから記録にすら残らない。
これは野球の話に見せかけた、「構造に殺される天才」の寓話だ。
「制度の外に行きすぎた才能」は、記録にも記憶にも残らない。
賞も名誉ももらえず、観客からは“やってない奴”とすら見なされる。
そこから話は滑り出す。
「暴力野球」「乱闘に1点ボーナス制」「アメリカン・ヒーローの倫理」へ。
「なぜアメリカ人は死に様より勝ち様を選ぶのか」
「なぜ日本のデスゲームは“予定調和”しか許さないのか」
「ユージュアル・サスペクツ」がなぜマニアにしか刺さらないか。
──そして終盤、導き出された禁断のアイデア:
「推し視点でしか見えない28分岐デスゲーム映画」
最初にキャラを選んだら、その子の主観からしか物語が見えない。
全員の視点を揃えないと“真実”にたどり着けない構造地獄。
でもコンプリートには70時間、円盤は全部買い。
構造フェチ、信者仕様、そして“観客自身がバイアスに呑まれる物語”。
最後の結論はひとつ:
名前ひとつに神が宿りすぎるこの世界で、「外から眺める者」こそが構造の火種を焚べる存在だった。
もうここは野球じゃない。
でも、打率10割の選手は、きっとこの話の外側からずっと見ていたのかもしれない。
「それで、次は誰の視点にする?」
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