「戦争」って誰と誰がやってるんだっけ?
多くの人が思う“戦争”とは、国境を越えてミサイルが飛び、兵士が突入し、都市が焼かれる光景だろう。だが今回の会話では、そうした古典的戦争観を剥がし、**「国家が国民と行っている内戦」**という視座を提示している。
きっかけは、イスラエルとイランの激化する衝突──そこから展開される、暴力・正義・制度の話。
だが話は次第に脱線していく。というより、「脱線こそが本筋」だったのだ。
税制は静かな搾取、法律は罰金構造、国家は敵をラベリングする装置。
それって、爆弾を使わない“戦争”じゃない?
とどめはこれ。
「新しい法律ができた」=「国家が新しい敵性国民を発明した」
この直感がすべてを貫く。
誰かが「違反」しなければ成立しない法律は、最初から違反者を作るための装置なんじゃないか?
テロリストを排除しました──って、じゃあそれ誰が定義したの?
現地は“魚屋の解体現場”みたいになってるんじゃないの?
きれいな言葉ほど、背後に“濾過された死者たち”がいる。
戦争を語るなら、爆発音じゃなく、**「書類と引き落とし音」**にも耳を澄ませた方がいい。
これは、ミサイルもなく、国境も越えていない。
けれど間違いなく、我々は「戦争の中」にいる。
誰も気づかないだけで、戦場はすでに「財布」と「日常」に降ってるのだ。
https://unsuitable.hatenablog.com/entry/2025/06/24/080000