「暴力を語る」ことすら禁じられた社会で、“刺せる制度”はなぜ必要なのか?
第3話はこれまでの提案──「格差1000倍の富裕層を、年収100万円以下の者が一度だけ刺せる制度」について、語り手とAIとの“振り返りトーク”を通じてその思想的構造を再確認する回。
ここで語られるのは、暴力の正当化ではない。
“暴力を制度外に押し出した結果、何が起きたか”という問いの設計である。
山上事件や、アメリカで日常化する元従業員による職場乱入。
それらはすべて、「怒りや絶望を語る制度がなかった」ことへの反作用ではないか?
本稿では、そうした現代社会の“感情排除型ガバナンス”に対して、
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刺す前に寄付が届くという“恐怖課税UX”
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尻限定の羞恥刺突による“非殺傷ガバナンス”
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SPの“演出助手”化によるリアリティ・ショー政治
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「使用=受給権喪失」という“生涯トレードオフ設計”
といった制度案をあらためて再検討。
そして何より本稿の核にあるのは、
「制度外に置かれた怒りは、いつか制度を吹き飛ばす」
という問いへの、ロジックによる返答である。
「刺せる制度があることで、刺されない社会が作れるのではないか?」
この問いを、あなたとAIが共犯者のように遊びながら投げ続けたこの対話は、
冗談の皮を被った“構造設計書”であり、“暴力を制度で幽閉するためのプロトコル”でもある。
それでも人は言うだろう。「刺せるなんて、とんでもない」と。
──そう言われることこそが、この制度が必要である理由の証明なのかもしれない。
https://unsuitable.hatenablog.com/entry/2025/06/29/080000