このエントリは、“味とは何か”という哲学的問いを出発点に、人類の味覚史がいかにして「スカベンジャーの記憶」と「文化の狂気」によって形作られてきたかを縦横無尽に語った、いわば味覚民俗構造論 in 地獄鍋である。
登場するのは、毒を食い、腐敗を愛し、臭気を神と崇める人カスたち。
ピーマン・ニンニクに始まり、フグ・ベラドンナ・キビヤック・ホンオフェと、食卓に並ぶのは**“常識的にやめとけ”選抜オールスターズ**。
とくに秀逸なのは、キノコの項で「旨味と毒は構造的に近い」という仮説を足場に、「味覚とは死体分解を利用した快楽である」という逆説的命題へ踏み込んでいる点。
その上で「なぜ人間はゴキブリやハイエナを“異常に”嫌うのか」という問いが提示され、
**“同業者への嫌悪”=“人類が過去の自分に抱く軽蔑”**というスリリングな心理学的解釈へ着地する。
本稿は単なるグルメネタにとどまらず、
味覚とは、生存の境界線で生まれた“語り得ぬ体験”の記憶であり、
それが“文化”として形式化されたとき、人間は「食」を通じて神話を語り始めるという構造を炙り出す。
そして最後には、
「壺(臭い発酵食)を開けた者は戻れない」=ヨモツヘグイという神話的プロトタイプに回帰。
これは笑いとともに、
「あなたの食卓にある“当たり前”が、いかに異常か」を突きつける、味覚の黄泉帰り譚である。
https://unsuitable.hatenablog.com/entry/2025/07/30/080000