「田舎には何もない」──そう口にする人は多いけど、それって実は「金がない」って話じゃないの?
そんな鼻ほじりながらの問いから始まった今回の対話。
スマホの登場で「田舎」と「都会」の情報格差は一見縮まった。
どこにいてもYouTubeは観れるし、TikTokは流れてくる。
けれどその実、「見えても触れられない」「アクセスできても参加できない」構図は何も変わってない。
都会に住んでても、しかるべき“まあるいもの”(おもちじゃなくて現金)を払わなければ、結局“お帰りはあちら”。
そして田舎では、ふと見かけたテスラに「インドの車?」と首をかしげる住民たち。
知識と物品の流通はあれど、価値観と“場の文脈”が共有されていないその違和感。
テクノロジーが均してしまったのは“見た目”だけ。中身の格差は、むしろ際立ってしまった。
さらに進むと、政府が焦って「農業こそ未来!」とぶち上げる(予定)。
そこに出てくるのは、いつもの「補助金バラマキ&中抜き商法」だ。
現場の農家は「とうの昔に死んどるわい」と蚊帳の外、価格自由化すれば今度は消費者がブチ切れる。
そして最終的に田舎民が「けえれ!売るもんなんざねぇ!」と吠える未来。
都会側の啓蒙には「何様だ」と全力で反発され、ノマドは“田舎の民度”に疲れて撤退。
そう、結局この国の未来は、都市と田舎の「分断したままの共依存」。
誰もがどこかで搾取され、誰かがどこかで怒っている。
構造を変える前に、誰もが“めんどくせえから後回し”を選ぶ。
その果てに来るのは──「また戦後」と「また年貢」だったりする。
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