👀視界に入るもの=俺のもの!?
山頂に立つとテンションが上がる──その理由を「景色が美しいから」じゃなく、「ここ全部オレの領土!」という本能的な錯覚によるものだとしたら? そんな大胆仮説から始まる今回の対話。
視覚による支配感覚を起点に、「湖=水利ゲット」「ビル=資本ゲット」「海=略奪可能」など、風景を見た瞬間に脳内で“所有”が起きているとしたらどうだろうか? しかも、これは古代からの生存戦略がDNAに刻まれた「無意識の領土認知」である可能性も。
さらに議論は五感へ拡張。
視覚が“アクティブソナー”で支配圏を打診するなら、聴覚・触覚・嗅覚・味覚は“パッシブソナー”。つまり、「俺の安心できる空間=生存圏」は五感によって定義されている。そして夜になると──視覚が封じられ、自我が縮小し、不安が忍び寄る。夢はその象徴。悪魔が出るのは夜、神が出るのは朝。だから「朝が来るとテンションが爆上がりする」っていう現象にも納得がいく。
この構造を現代文化に転用すると?
「寝なくていい薬」「明るい夜の街」「刺激的な食物」は、“高緯度の長い夜”を乗り切る文化から来ているという地理的仮説も登場。一方で、「自然と調和し、夜も昼の一部として受け入れる」ような低緯度の文化は、支配よりも循環の思想に根ざしているのかもしれない。
そして最後はスマホの話に帰結。
視覚情報だけが爆発的に増えた現代。スマホで「見る」ことは増えても、「触れる・嗅ぐ・味わう」は相対的に減り、欲望と現実の間の温度差で、心が擦り切れていく。これは文明病か、五感の偏りによる栄養失調か──。
全部妄想。されど妄想。
五感と所有感、夜と不安、朝と回復、テクノロジーと人間性。あらゆるテーマが「視界」という入口から噴き出す、思索のジャンクヤードを覗いてみませんか?
https://unsuitable.hatenablog.com/entry/2025/08/23/080000