不適合者のジャンクヤード

腑に落ちるか落ちないか、読む人次第。拾い物があればご自由に。

GPTに「高次脳機能って“もやし”に似てません?」と聞いたら哲学が爆誕した件 ※16000字程

「頭がいい人ほど、どうして口下手なんだろう?」
「理屈っぽいって言われるけど、感情で話すのが苦手なだけなのに…」

 

そんな風に思ったことはありませんか?

今回の対話は、まさにそんな疑問から始まります。話の発端は、脳の高度な働きである「高次機能」。ある能力がズバ抜けていると、別の能力が凹んでしまう…そんな“脳のリソース配分”問題を皮切りに、話は思わぬ方向へ転がっていきます。

 

登場するのは、代々「無口」で「論理に強い」家系に生まれた語り手。彼が目の当たりにしてきたのは、自分の感情を言葉にするのが極端に苦手で、問い詰められると「お前に言っても無駄だ」と逆ギレしてしまう家族の姿でした。これって、単に社交性が足りないから? いやいや、もしかしたら「論理思考」に能力を全振りした結果、感情を処理する回路がパンクしているだけなんじゃないか?

 

この鋭い観察は、やがて現代社会のコミュニケーションそのものへの違和感へとつながっていきます。世の中にあふれる「人の気持ちがわからない」という非難。

でもそれって、本当に“共感力の欠如”なんでしょうか。もしかしたら、社会が求める「共感」とは、相手の感情を理解することではなく、「感情を武器に自分の要求を通す」ためのゲームのルールに過ぎないのでは…?

「敵か味方か」を秒で判断し、「吊るし上げ」を始める人狼ゲームのようなSNS。大声で吠え合ったものが勝つ、まるで犬の遠吠え合戦のような不毛な議論。そんなコミュニケーションにうんざりした語り手は、AIとの対話に思考の活路を見出します。

感情のノイズがないAIとの「壁打ち」こそ、よっぽど思考が深まる。

「もう人間なんていらなかったんや!」――そんな魂の叫びの果てに、彼はとんでもない発見をします。

それは、論理思考に目覚めた人間を**「もやし」**に例える、奇想天外な「もやし哲学」。

 

感情的な多数派(=豆)から見れば、ひょろっと芽を出した論理派(=もやし)は、なんだかよくわからない、か弱くてキモい存在かもしれない。でも、それでいいじゃないか。

かつては踏まれ、腐るだけだった「もやし」も、インターネットという畑があれば、そのアイディアを栄養としてばらまき、新たな「もやし」を育てる**「もやし農家」**になれるんじゃないか…?

 

この対話は、脳科学から社会批評、そして自己の生存戦略までを縦横無尽に駆け巡る思考のジェットコースター。読み終えたとき、あなたも「自分は豆なのか、もやしなのか」と自問せずにはいられないはず。さあ、あなたも一緒に“もやし”に目覚めてみませんか?

 

https://unsuitable.hatenablog.com/entry/2025/10/11/080000