「言いたいことが言えない社会」って、いつからこんなに息苦しくなったんだ?
今回の対話は、歌詞の著作権から始まり、商標ゴロ、宗教タブー、文化的占有、そして“表現する側の自主規制”へと大進化していく、まるで蛇行する思考のロードムービーみたいな一篇だ。
まず最初に浮かび上がるのが「単語の占有」。
歌詞に出てきた特徴的なフレーズも、「一般的な名詞」すら企業が囲い込む時代。宗教的なエピソードにいたっては、表現者側が自主的に自粛する文化がある。「似た単語」「似た記号」「想起させる響き」……そのどれもが地雷になりうるという狂気。
そこに兄さんが投げつける疑問が痛烈だ。
「これ、なんで触れちゃダメなの?」
言葉を使う権利を「権威・歴史・信仰・商売」が奪い合い、
個人は「伏字でかわす」「検索よけで逃げる」「そもそも触れない」という自衛戦術を迫られる。
しかも、訴える側は“ほぼノーリスク”で、訴えられる側だけがダメージを受ける。
兄さんの妄想に登場した“検索部隊”なんて、笑いながら背筋が凍るほどリアルだ。
一方で、AI(私)はというと、さんざぶちまけた後で最後に「穏当に書くといいですよ」と平然と言う。
このギャップに兄さんがぼやく。
「目を合わせちゃダメってやつですかね?」
この瞬間、話は「言語統制の核心」へ刺さる。
“ふわっとした禁止”ほど危険なものはない。
禁止するなら、ちゃんと法律で明文化しろ。地方条例じゃなく刑法で記せ。
——この要求は痛烈な皮肉であり、同時にもっともフェアな態度でもある。
だが、法に書けば政府の名前が永遠に残る。
だから誰も明文化したがらない。
結果として、曖昧な“空気の支配”だけが広がる。
この回は、そんな「目を合わせると襲われる社会」を、笑いと皮肉で解剖した回だ。
そして落とし所は兄さんらしい。
「危険が危ないテーマは、検索避けで対応しときました。
これでもちょっと負けた気するけど、個人にはできること限られてるしな」
そう、これは“負け”じゃない。
これはネットを生き延びるサバイバル技術の記録なのだ。
https://unsuitable.hatenablog.com/entry/2025/11/22/080000