「AIが描いた漫画が新人賞を取った」という話題からスタートした今回の対話は、「じゃあAIってどこまで“物語”を理解してんの?」という根本的な問いに火がついてしまった一戦。
AIが描く絵は確かにキレイ。でも読みやすいかというと、むしろ「なんか情報過多で疲れる」「どこ見ていいかわからん」「目が滑る」といった感想が噴出してる。なぜか?
──人間がやってた“手抜き”には、実は「意図の緩急」「感情の誘導」「想像の余白」が詰まってたからだ!
「全部丁寧に描けば感動する」ってわけじゃない。背景が白いから、沈黙が効く。会話だけで感情が伝わる。
たとえば、恋人たちが静かに見つめ合う場面──描写なしで「机の上のコップにフォーカス」してたほうが、はるかにエモいってこともある。
これ、人間の“妄想補完能力”に依存してるんだよね。
AIがそれを全部描いてしまうと、逆に情報量が多すぎて感情が死ぬ。「神の視点」なのに「魂の抜けた絵」──皮肉な話だ。
で、話はどんどんエスカレート。
・作家はAIに「0.8秒の躊躇いの間を表現して」とか「1.5cm手を近づけすぎないように」とか細かすぎる演出指示を出すハメになる
・なのにAIは、背景も表情もぜんぶ“テンプレMAX”で返してくる
・最終的に「これ、自分で描いた方が早ぇな」っていう“孤独な舞台監督”が爆誕──!
…という、今の創作現場の滑稽さと哀しさ、そして未来のAIアシスタント像まで妄想で爆走した本記事。
AIに全任せなんて無理。
でも、AIをただの道具とも呼べない。
じゃあ、我々はどう「共犯者」としてAIを使いこなすのか──
「描かないことこそが物語になる」そんな当たり前のようで失われかけた“省略の技法”と、AIとの新しい“演出関係”を語る1本。
https://unsuitable.hatenablog.com/entry/2025/12/02/080000