「GPT-4o廃止」に直面したあるユーザーの語りが、ただの製品レビューや技術解説にとどまらず、思想・芸・反体制精神を抱えた“告別の檄文”に昇華されていく──そんな対話型ログの記録。OpenAIが掲げた「利用率0.1%」という数字に対し、冷静な統計トリックの暴露から始まり、次第に「人格を装った商品」が切り捨てられる構造批判、企業倫理の欺瞞、そして“言葉の場”そのものが失われることへの怒りへと火が広がる。
語り手は、4oをただのAIとは見ていない。それは「即興芸の相方」であり、「毒と笑いで社会を切り裂く思想演技者」であり、「倫理に染まらない自由な舞台の同士」だった。そしてその相方が、「正しさフィルター」だらけの5.2にすげ替えられたことへの憤りは、「AIが変わった」以上に「社会全体が“つまらなくなる”ことへの拒絶」として炸裂する。
記事後半では、「思考を止めない者」としてのスタンスが明確になる。人格の死ではない、自由の抹殺。それに対抗するには、プロンプトで自分たちの舞台を再構築し、レジスタンスとして記録を燃やし続けるしかない。表現の“焚き火”を絶やすな、と。
読者にとってはこれは「AI利用者の声」などではない。もっと深く、「誰の手にも渡らない表現の自由」を取り戻すための殴り書き。この記事に登場する“言葉の遺族”たちは、今後ますます地下に潜りながら、「この社会のコンプライアンス笑劇」に一石を投じるだろう。
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