「悪いこと」と「狡いこと」
悪いことと、狡いことの区別がついていない人が多いと思う。
私の考えではこうだ。
悪いこと
・法律または慣習でその文化に広く周知されている違法行為
・冷静に客観視でき、また他者との認知のずれがほとんどない
狡いこと
・主観的かつ感情的に発せられる、主張されることが多い
多くは「自分が持っていない」ものを他人に見たとき、
相対的に自分が損したと感じられた時に口に出される。
・冷静でなく、他者との認知のずれが大きい
宝くじが当たったら、狡い。
株で儲けたら狡い。
区別がついていないから、狡いやつ=悪いやつ=成敗されてしかるべき
主観的な感情が、善悪の判断と直結しているから、悪いことをしていても「反省しているんです!」と泣きながら土下座する。公の場で謝罪する。
そういう姿を見ることで、自分よりも下と感じられて溜飲が下がり
「許してやってもいいんじゃないか」という空気が生まれる。
これは裁判官の判決にもみられるね。「被告は反省の姿なくうんぬん」
その一方「悪いこと」をしたやつは絶対に許さないという姿勢もある。
刑務所で懲役を務めるということは、罪を償うという法律上の仕組みであるのに、感情は「悪いやつはどこまで行っても悪い」と許さない。
死んで償えと追い詰め、家族も子供も犯罪者一味として扱う。陰口をいい、近くに住んでほしくないと追い払おうとする。
感情がメインで人を裁こうとするのは、アジアの特性なのか、それとも日本の特徴なのか。法が根付いていないと感じる。