政治に期待するのは間違っている
学生時代、クラスの級長には誰もなりたがらなかったもんだ。
内申が上がるかも、と最近ではいくらか価値があるのかもしれないが、面倒な仕事が増える役なんてゴメンである。
調子に乗ってるやつに押し付けるか、地味ないじめられっ子にでもさせておけ。
このあたりが共通認識だった。
東京都知事の狂騒を見て思うのは「次は清廉潔白な人を」なんてポポロが語ってるのがちゃんちゃらおかしいってこと。鏡に映った自分の顔をみて騒いでいるようなもんだ。
誰がどんなことをしてきたのか知らない(あえてそうしている面もあるだろう)
勝手に期待し、勝手に裏切られたと騒ぐ。
自分は交通費をポッケに入れるのに政治家のズルは絶対許さない。
そして首を挿げ替えれば、マシになると思っている。
野球の監督変えるのに近いもんがあるな。
問題は選手とオーナーにあるのに、そこは誰も突っ込まない。
海老沢泰久さんの「監督」は名著だったなあ。
古来政治は「祀り」であり「祭」だったというね。神様とのつながりを持つ場であり、願いを叶えてくれれば捧げものを。かなわなければ祭司の命を時には捧げる。
最近は祭司を血祭りに上げることばかりに夢中で、捧げものの方がおろそかになってるんじゃないんですかねえ。
要求するばかりで支払いが悪い客を業界では「ゴネ客」「ゴミ」と言いますから。
そりゃあいいサービスは受けられるわけがない。