不適合者のジャンクヤード

腑に落ちるか落ちないか、読む人次第。拾い物があればご自由に。

Chat-GPTに「法然から連想したこと」を聞いた その3 <龍樹と般若心経> ※17000字程

法然を読み返して気になった筆者がいろいろGPTに聞くシリーズ 第3弾!」
今回の舞台はインド哲学の巨人・龍樹(ナーガールジュナ)の空思想と般若心経!話題の切り口は、なんとも現代的。どうも筆者、般若心経を観光パンフレットだと思い始めたらしいんです。しかも「これ、実は仏教マスター用の覚書じゃない?」なんて推測まで。これが絶妙に理にかなっていて、困るのがまた面白い。

「般若心経=パンフレット説」の詳細

般若心経は、長大な経典群を要約したもので、思い出すためのヒントに過ぎない――これが筆者の仮説です。「救済への道筋は語らず、悟りに至るべき積み重ねをした人向けの簡易ガイド」としての役割を果たしているのでは?確かに、「無無明尽」や「ギャーテー!」(行こう!)という言葉が、唐突に深遠な結論へ飛ぶのはそう考えると納得です。

いやいや、そこまで突っ込むなら般若心経に「初心者向けガイド」とか「詳細は別途」って付箋でも貼っといてほしいですよね。

「龍樹の空思想」から般若心経を見る

筆者、龍樹が言う「空」にもかなり惹かれている様子。「去る者は去らず」とか、「男と女は相互に定義される」とか、もう哲学好きにはたまらない逆説が次々に登場。存在や行為、果ては悟りすら相対的だという龍樹の思想が、般若心経と絶妙に絡んでくるわけです。

そして出てくるのが筆者のぼやき:
「すべてが無意味=すべてが大事ってわかるけど、唐突すぎん?」

そりゃ、般若心経さんが「ギャーテー!(行こう!)」と急展開しちゃいますから、疑問が残るのも無理はありません。「深く考えろって言われた後に、いきなり『まあ言うてなまんだぶ唱えとけ』みたいな話になるのは困惑する」らしいです。

シンプルが救いを呼ぶ?

でもそこが仏教の救いの妙。「深く考えすぎると迷うから、とりあえず実践しよう」というのが大乗仏教や浄土宗に繋がるんです。「なまんだぶ言うとき」というシンプルさが救いになる。筆者も納得しつつ、「でももう少し説明してほしい」と思わずにはいられない模様。

結論:悟りへの道は「わかる人向け」の道標だった?

般若心経は、深く修行を積んだ人が再確認するための地図であり、「あるけどない」「ないけどある」という仏教的矛盾を思い出させるツールだったかもしれない。だからといって、今の私たちがその深遠さに完全に納得するのは難しい。でもそこがまた、考え続ける楽しさを与えてくれるのかもしれません。

次回も筆者がどんな斜めからの切り口で哲学を切り取るのか、楽しみにしてください!
「般若心経って覚書だよね?」説の真相に迫る全文はこちら!

 

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