富の分配の効能を考える 2
昨日に引き続いて、分配について考えてみる。
昨日の想像では貧困層が100$手にできるところまで想像した。
さて、彼らは何をするだろうか。
アフリカ。中国。インドの貧困層。
おそらく
ちょっといいものを食べるか。
ちょっといい服を買うか。
ちょっと酒を飲むか。
ギャンブルをするか。
アフリカなら銃を買うかもしれない。
で、終わり。次には当然「おかわり!」と大声を出す。
何が起きたか、起きているかは知っている人は当然知っている。
じゃあ、株を配ったらどうなるだろうか。一人当たり100$の株を配れば、1年に配当3$は貰える。
おそらくそうなれば、株を売り払って(以下同)
無くなっちゃった。で、おかわり。
ロシアで行われた社会実験がこれだ。
社会主義国家だったソ連が92年の転換時に何をしたか、知っている人は少ないかもしれない。
国民は資産を持たず、国家が何もかも持っていたソ連。だから、あの当時工場とか、資本とか国が持っていたものを、では国民にすべて分配しますと発表した。
ところが同額配られたはずの資産権利も、ほとんどの国民はインフレに耐えかねて即座にクソみたいな安値で売り払い、ウォッカを買った。
一方、一部の人間(ニューリッチと呼ばれる)がなぜかそのまま大きく資産を増やす。
あくまでも想像だが、裏社会での実力者が表に出てきたり、一部政治の繋がりが濃かった人間がいち早く買い占めたであろうことは当然の帰結ではなかろうか。
貧困層に足りないのは、おそらくお金ではなく、知恵と想像力。そして絶対的に不足しているのは我慢と言い訳しないということではないかと思う。