お金について考えた 6
前回記事 お金について考えた 1 2 3 4 5
歴史を見ると、歴代の王もまた、お金に振り回されている。
通貨にする金属が足りず、鋳造技術もない時代、日本は大量の銅を中国から輸入。
同時代の中国では経済が発達したにもかかわらず、信用ある通貨が逼迫し、経済が滞る。
1600年代には逆に交換量の違いを利用され、銀の流入と金の流出に悩まされる日本。
南米から大量の金を得たスペインは、今度は貴金属のだぶつきによりインフレを発生させる。
時代は下って1900年代でも、金本位制をめぐって世界は大混乱。1970年代の通貨兌換中止まで貴金属は通貨の主軸とみられていた。
現代でも日銀のマネーサプライ、日銀の株式ETF買い付け、アメリカのQE3と実験と混乱は続いている。
通貨を貴金属に固定すると、どうしても量が限定される。国内で生み出されるモノ・サービスの量と通貨量が釣り合わなくなるとデフレ・インフレが発生する。国家自身が貴金属を欲しても、そう簡単に増やせない。
国民がそれを欲しいときは、国家も通貨(貴金属)を必要としていたという今となってはシュールな過去だ。
どうもお金の歴史を考えると次の3つが同時期に起こっているように思える。
中世 近代 現代
1・体制 都市国家 王制 民主制
2.通貨 貴金属 通貨(金) 通貨(紙幣)
3.身分 貴族強い 富裕層強い 大衆強い
歴史が下るにつれ、国家の内部が安定し、法律が整備されサービス量が増大。
つれて奴隷制も、自ら働く市民・大衆を使った方が利潤が上がると富裕層・国家が気づき、それに伴い貨幣を紙幣に切り替えていった。
それはいい。ただ、気になるのがお金の意味と、国家の意味が昔とは違う。
昔の国家は「王様」が偉い。
お金=貴金属=誰でも集められる。
シンプルだ。王様を倒して乗り替われば、自分も王様になれる。
貴金属をため込んで子供に残せば、家は安泰だ。
現代の国家は法人格のようなもの。国はあるけれど、首長も公僕も取り換えのきく一員に過ぎない。決まりの上では国はすべてを所持し、すべてを守る必要がある。
通貨は「タダの借金証」にすぎず、いくらため込んだところでインフレか、相続税か、通貨切替か銀行封鎖で国民から取り上げることが可能だ。
法人格(システム)であるがゆえに「悪の王様を倒す」ように簡単にいかない。土地もその上の資産も動産も全ては国家に属している。
国民は一揆を起こすわけにもいかず、何を訴えてもいいかわからずにただ「労働すればいい」と刷り込まれ、お金をめぐる狂想曲に巻き込まれていく。
消費は善だと煽られ、使うことが正義であるように語られる社会。
お金との距離や関係をよく見極めないと、一生なんてあっという間だ。