ドラマ的な分岐点は存在するのか。
後悔先に立たず、という言葉の通り、自分の選択を悔やんでいる人は多いのだろう。
あの時、ああしていれば。
あそこで、AではなくBを選んでいれば。
想像の中で、悔やんでいる人はもう一つの選択肢を選び、幸せな結末を得る。
ねーよ。
バタフライ・エフェクト - Wikipediaも公開されてから10年。見た人も少なくなってきただろうと思う。
1.なぜ究極の選択、一つは失敗、一つは成功という明確な分岐点があると思うのか。
2.なぜもう一つの選択では成功できると確信をしているのか。
3.自分はディズニー映画の主人公と勘違いしているのか。
言いたいことはまだまだあるが、とりあえず上の三つだ。
人生はドラマではない。
人生はやり直しがきかない。
それでも生きていく必要がある。
失敗は損切りし、授業料と割り切る。
命が助かったんなら丸儲け。
もう一つのあったかもしれない選択肢は、もっとひどい結末になったかもしれないと自分を慰める。酸っぱいブドウな。
あの時に、マクドではなく、吉野家だったらデートに成功したはずだ、と本気で思っているのなら、童貞エロゲ脳乙としか言いようがない。
人生に分岐はなく、人生に約束された成功はない。なぜそこに気づかないのだろうか。
ギャンブルであの時、あの馬に賭けていたら。
ヤフー株(グーグルでもいい)を買っていたら。
大金で身を持ち崩したかもしれないし、売り時を間違って借金したかもしれない。
映画なら、物語ならハッピーエンド。そう打ち切って終わりにできるのに、助けた相手に訴えられたり、逆恨みされたりするやりきれないことが起こるのが現実社会。
最良の結果を手に入れる夢を見られるのなら、同時に最悪の結果を手に入れたかもしれない未来も、抱き合わせで想像しようぜ、って思う。
ただし物語は別だ。映画「オーロラの彼方へ」「のるかそるか」のように、物語の中でくらい、幸せな気分になってもいい。
ただし、映画と現実は別。そこは切り分けよう。