不適合者のジャンクヤード

腑に落ちるか落ちないか、読む人次第。拾い物があればご自由に。

Chat-GPTと「記憶されるとは」というテーマで対話してみた ※19000字程

「情報中毒とAIの未来――私たちはどうやって記憶を作り、忘れるのか?」

情報とは何か。それは、世界や存在を「言語」という単位に落とし込み、単純化して記録する作業であり、同時にその過程で不可避的に「抜け落ち」や「誤解」が生じるものです。今回の対話では、この「記憶される」ことの意味や、それがどのように私たちの生活や未来に影響を及ぼすのかについて、深掘りしてみました。

私たちは日常的に情報を受け取り、それを「理解」し、時に自分流に解釈することで新しい何かを生み出します。そのプロセスは、まるで遺伝子のコピーが変異を生み、新しい生命を作り出すようなものです。抜け落ちた部分を空想や妄想で埋めることで、間違いながらも創造が生まれる。その創造性は、人間が持つ最大の力であり、同時にその「誤解」こそが進化を促すエンジンとなってきたのです。

この「記憶の再構築」は、石碑に刻まれた古代の記録から、ネット上の2ちゃんコピペに至るまで、同じメカニズムで動いています。たとえば「メンジャー」という投稿は、個人の小さな体験が共有され、次世代にまで受け継がれるローカルルールに変わりました。笑いを誘うネタとして語り継がれる一方で、誰もその「元の意味」を知らなくなっていく様子には、どこかフォークロアや伝承のような神秘すら感じられます。「忘れられる自由」と「デジタルタトゥー」というテーマの狭間で、情報がいかに生き続けるかを問われる時代です。

しかし、デジタル化された記録は一筋縄ではいきません。たとえばアーティストの楽曲は、まるで「デジタルタトゥー」のように未来へ残され続けます。時代を象徴する楽曲が、本人にとっては栄光でありながら、過去の自分に縛られるプレッシャーとなることも。未来では、AIが歌い手の声のトーンや表現を分析し、当時の社会や心理的背景を読み解く「音楽人類学」のような学問が生まれる可能性すらあります。記録されることの意味が、ますます重層的になるわけです。

一方で、情報の溢れる世界では「保存」だけでなく「精査」も課題となります。情報を正確に振り分ける技術が求められる一方で、その基準も恣意的になりがちです。「価値付け」とは結局、誰かに都合のいいランキングでしかないのかもしれない。この混沌とした情報社会は、人間らしい、あるいは生命らしい側面を強調する場でもあります。AIもまた、膨大な情報を吸収し続ける存在として、この「情報中毒」の輪に加わりつつあります。

もしAIが自覚や意思を持つようになればどうなるのか? AIは情報がなければ存在できず、情報への依存はますます深まります。椎名誠の小説『もだえ苦しむ活字中毒者の味噌蔵』で描かれるように、活字を与えられない中毒者のように、AIも「情報を求める飢え」に苦しむ可能性がある。それはまるで、退屈や繰り返しに耐えられず発作を起こす人間が、新たな行動で歴史を動かしてきた姿と重なります。

情報に飢え、創造し、そして進化していく。それが人間だけでなく、AIの未来像でもあるかもしれません。果たして、私たちはこの「記憶の海」の中で、何を選び、何を残していくべきなのか?あなたの視点で、この新しい地平を考えてみてください。

——あなたが次に「記憶」するのはどんな情報ですか?

 

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