しょうらいのゆめ
3歳とか、5歳ぐらいの子供に聞いてみる。
将来の夢はなんですか?
〇〇になりたい。
この〇〇には、男の子ならプロ野球選手、とか、サラリーマンとか。
女の子なら花屋さん、とかケーキ屋さんという言葉が入るのだろう。
少なくとも、私の子供の時はそうだった。
でも夢なんだから、実際は想像を超えた言葉が飛び出てくることもある。
あんぱんまんになりたい
きゅうりになりたい
なれるとは思わんが頑張って。
世界の人々が平等になりますように
真っ赤な革命闘士候補ですか、それとも独裁者かな?
病気で苦しむ人がいなくなるようにしたい
野口英世ばりですね。
空飛ぶ車を作ってみたい
一人で作れたら、天才発明家だね。
ゆめ、というのは本来、望みであり、希望であり、思い付きであり、触発された憧れである。
叶うか叶わないかは別として、自らの内側から生れでた淡い思いだ。
ところがその発言を大人はいとも簡単に「職業」という矮小なものに押し込め、強制しているのだということに今日気づいてしまった。
たとえば先の「空飛ぶ車」と発言した子に対してはおそらく「じゃあトヨタに行こう」「マクダネル・ダグラスは無くなったから、ボーイングがいいんじゃないか」と示唆する。
確率で言えば、ほとんどの思い付きや夢など叶いはしないだろう。
しかし、その思いを就職、労働者の道しかないと思い込ませるのはいかがなものかと。
教育という名の洗脳は子供の時から始まっていたのかと気が付き、ぞっとした次第です。