足るを知る その1
先日読んだ「貨幣の新世界史」に興味深い記述があった。
世界宗教のみならず、多くの宗教で
「お金を求めすぎるな」
「持っているものを減らし、誰かに分け与えなさい」
「多く持つ者は、天国に入れない」
「持つ者が少ないものこそ満足が大きい」
こんなことを言っているらしい。
ビジネス的な面から言えば、喜捨を促すのは、税金を払えと迫る国家システムの模倣、または宗教と国家が絡み合った時代が長かった事によるものだと考えられる。
てのひらに入るだけのものしか持たず、明日のことは明日考える。
難しいことや悩みは、神に、または宗教者に告白し懺悔する。
支配者側に都合のいい論理だとしか言えない。
足るを知り、求めず、華美に反対するのは
金で飾り立て、美術品で飾り立てた寺院で、信者を圧倒させるためである。
もしも足るを知っているのなら、宗教者にデブはおらず、えらいさん達がベンツにもリムジンにも乗らないはずだ、と揶揄したくなる。
捨てろという側は捨てることはしない
飾り立て、感激させ、コントロールし、さらなる信者を集め得るのに広告を打つ。
自分たちは超え太り、美味しいものを食べ、信者に好きな事を述べ、あまつさえ
性欲に振り回される。
ま、そんなもんだな、と思う。完璧なものなど、そうはない。