「台湾に肩入れするな」とレコードチャイナが言った日、私たちは何を見落としたのか?
レコチャ節――中国メディアが日本語で語る「台湾は日本の問題じゃない論」。それを読み流すだけなら簡単だが、ちょっと待て。これって、誰向けのメッセージ? どの構造に基づいた“演出”?
今回の会話は、「中国→台湾→日本」の視線構造をぐるっと反転させて、その背後にある歴史的・経済的・宗教的・感情的構造を一つずつ暴いていった記録である。
1971年の「国連からの台湾追放」=パンダを交換条件に消された国家の名。
金門砲戦=“プロレス砲撃”という儀礼外交の舞台装置。
TSMCの誕生=国交なき国家が、資本と技術の通貨で築いた信用の壁。
そして日本は――ただの“でかい蓋”だった。
気づかぬうちに30年。ごはんは食えていたが、政治と宗教と経済の文脈は、すっぽり抜け落ちていた。
「投票も宗教もめんどくさい」と言ってるうちに、我々の冷蔵庫は中台製に、クラウドはアメリカに、未来の選択肢は手のひらの外にある。
パンダと円高と沈黙で繕った“現代の江戸幕府”国家。
その蓋の上で暮らす私たちが、「なぜ龍が怒ってるのかわからない」のは当然かもしれない。
でも、語ってしまったのなら、火種はすでに一つ置かれている。
そう、これは“変わらなくてもいい”、けれど“変わるきっかけになれるかもしれない”、そんな「知識と遊び」のジャンクヤードの中の一冊。
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