「子どもが増えない」。そう叫ばれて久しいこの社会で、ついに“禁じ手”の仮説が飛び出します。
「国民の摂取カロリーをギリギリまで削ったら、生存本能が目覚めて出生率が上がるんじゃないか?」
――もちろん冗談。でも、現代社会における“余裕と本能の逆相関”を、するどく刺すブラックユーモアな仮説。
本記事は、そんな**“動物としての人間”という視点から、少子化という超重量級テーマをぐいぐいほじくり返す**、シリーズ最終回にふさわしい一撃となりました。
さらに議論は深まります。
・「そもそも、2000〜2010年生まれの約850万人で、次の世代は維持できるのか?」
・「誰が、どこで、この問題の主体者なのか? 政治? 市民? それともAIか?」
・「人口を増やす」ではなく、「人口が減ることを前提に社会を再設計する」視点の必要性。
そして最後に挙がるのは、「移民」という“常套句”への冷ややかなカウンター。
「タダ働きに近い労働文化」「補助金頼りの行政」「サービス残業という呪い」――
そんな国に“骨を埋めたい”と願う移民がどれだけいるのか?
むしろ、これは国民自身が“移民になりたい国”であることを再設計しない限り、誰も来てくれない――という冷徹なリアリズムが響きます。
投げっぱなしのようで、実はしっかり“バトン”が渡される終わり方。
**「さて、この続きは“私じゃないあなた”が考える番だ」**という余白が、読者に思考の自由をプレゼントしてくれる、見事なラストでした。
https://unsuitable.hatenablog.com/entry/2025/04/05/130000