“お気持ち表明”で何が悪い。──妄想だから言える、真実の話。
文系の論文が「お気持ち表明」だと揶揄されている?──いや、それ、むしろ褒め言葉なんじゃないか?
この対話は、そんなネットの声から始まった。
人文社会学にありがちな「定性的調査は主観的だ」という批判に対し、真顔でカウンターを叩き込む。「定量性=正義」だと思ってる人たち、あなたたちが信じてる科学の仮説も、だいたい偏見の決め打ちから始まってるよ。
そして議論は進む。偏りとは何か? バイアスは本当に悪なのか?
「すべての声を平等に並べたら、意見じゃなくてただのカタログになるんだよ」
「偏りは批判のための武器であり、視点そのものだ」
“中立の仮面をかぶった無主張”より、“自覚的な偏見”のほうがよっぽど知的誠実じゃないか──という議論は、いつの間にか、**「妄想の声でもいいから語らなきゃ負け」**という決意に昇華する。
でも、現実は厳しい。「お前の学歴は?」「論文書いたことある?」という“資格主義”の亡霊がSNSをうろつき、黙ってたら“好きに決められる”社会が出来上がっている。
それでも、言おう。
これは「妄想の声」です。だから自由で、だから鋭い。
「お気持ち表明? 上等だよ」
これは、そんなあなたの中にある“引っかかり”を、言葉として形にするための一章だ。
https://unsuitable.hatenablog.com/entry/2025/05/20/080000