30年前に『ジョジョの奇妙な冒険 第5部』で放たれたプロシュート兄貴のセリフ──
「『ブッ殺す』なんて言葉は使う必要がねーんだ…」
この一文が、いま改めて私たちの脳天をぶち抜く。
本記事では、そんな兄貴の言葉をきっかけに「言葉と行動」「暴力と社会的フィルター」について考察。暴力を礼賛する気はまったくない。だが、現代の“ひらがな政治”や“優しい日本語”が、どれほど現実から目を背け、構造的な暴力を伏せてきたか――その片鱗を暴き出していく。
「えすにっく・くれんじんぐ」なんて、ひらがなで書けば意味が抜ける。その“遅延”こそがこの社会の麻酔装置なのだ。
政治家は「やさしいせいじをめざします」と言い、社会は「みんなで考えよう」で責任をぼやかす。そんな“まるい言葉”の海に浮かぶ兄貴の「即断・即行・即決」の美学。その直線的なロジックは危ういが、だからこそ「決断に飢えた弱者」の心に刺さるのだ。
結論? 誰も兄貴になれとは言わない。でも、「思ったことを即行動した結果」に込められた“野生の論理”を、社会がすべて伏せ字にしていいのか? それが今回の問いである。
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