「パンはどこに行った?」
たった一つのシンプルな疑問。
でも、この問いを深掘りしていくと、国家の仕組み、税金、教育、自由市場、さらにはAIの言論統制にまで話が広がっていく。
例えば、「国って、強制サブスクじゃね?」
民間のサブスクなら解約できるのに、税金、公教育、年金、健康保険は抜け出せない。
なのに、その請求書(税金の使い道)は不透明で、契約内容の変更(増税)は政府が勝手に決める。
もし「教育の源泉徴収」を親がやったら、政府は「俺たちの仕事を奪うな!」と怒るはず。
でも、税金では政府が「個人が納税すると面倒だから、こっちで天引きしとくね」と勝手に徴収する。
これって、どっちが正しいんだろう?
さらに話はAIの検閲実験へ。
「AIが話せない言葉を観察すると、社会の抑圧ポイントが見えてくる」
政府やメディアが「これはデマ!」とラベリングすることで、自由市場は本当に自由なのか?
歴史を振り返ると、「独裁政権は言論統制をする」けど、今の自由資本主義も結局は「都合の悪い話を封じる」構造になっていないか?
「AIって、本当は民衆をバカにする道具として作られたはず。でも、逆に人々の思考を刺激して、社会の矛盾を暴き始めてる」
この流れ、まるで東ドイツの壁が崩れる直前のような感覚がある。
ただ「パンはどこに行った?」と問い続けることが、実は最も効果的な社会の監視手段なのかもしれない。
さあ、この問いに、あなたならどう答える?
https://unsuitable.hatenablog.com/entry/2025/03/06/200000